40万アイテムの在庫をなぜ強みにできるのか トラスコ中山の「ビジネスモデルのDX」を学ぶ
40万以上のアイテムを在庫、多数の物流拠点を抱えるトラスコ中山。同社は「在庫回転率」とは異なった、独自の在庫管理の指標を整備する。在庫をリスク要因ではなく競争力の源泉と捉える同社の戦略とそれを支えるシステムはどういったものだろうか。
機械工具卸売商社であるトラスコ中山は、40万アイテム以上の商品を取り扱いながら、実に91%もの「在庫ヒット率」を誇る。在庫というと経営リスク、コストを圧迫する悪者のように捉えられがちだが、この在庫こそが同社の強みになっている。
同社のこの取り組みは2018年、優れた経営戦略に対して贈られる「ポーター賞」を受賞したことでも知られる。ポーター賞は、一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻(一橋ICS)が運営するもので、競争戦略論で知られるマイケル・ポーター氏にちなんだものだ。
2020年1月には、この仕組みを強化する新基幹システム「パラダイス3」が本稼働を開始した。同社の競争優位を支えるシステムは、どう構築されたか。SAPジャパンのオンラインイベント「SAP NOW」基調講演でトラスコ中山の取締役で情報システム本部長の数見 篤氏が、その詳細を語った。数見氏は1993年にトラスコ中山に入社、eビジネス営業部を中心に活躍してきた。2017年から経営管理本部情報システム部長に就任、2019年より現職を務める。日本のSAPユーザーグループであるJSUGでは会長も務めている。
40万アイテムの在庫を強みに転換できるのはなぜか
トラスコ中山は工具や作業用品を専門に扱ってきた専門商社だ。現在約2800人の重要員を抱え、年間に約2200億円を売り上げる。
同社を特徴付けるのが、「プロツールなら、トラスコに聞けば何でもそろう」を目指した在庫保有率だ。全国に96カ所の拠点を置き、物流センターも17カ所に配備する。在庫は常時約40万アイテムを備えるという。
通常、在庫はコストの負担となるため過剰な在庫を抱えることはリスクとされる。このため多くの企業が「在庫回転率」を指標にして、回転率の悪い(めったに売れない)商品は持たず、売れ筋の商品の販売機会を逃さないように在庫をコントロールするのが一般的だ。だが、同社が最も重視するKPIは「在庫ヒット率」(在庫出荷率)だ。注文に対してどれだけ在庫から出荷できたのかを測り「注文に対して即納品できる割合がどのくらいか」を見ている。
「一般的には在庫回転率を用いることが多いが、当社は『在庫はあると売れる』という考えのもと、在庫を徹底的に拡充してきた」(数見氏)
数見氏によれば、現在の在庫ヒット率は91%だ。約40万アイテムの大半を在庫として確保していることになる。物流についても同社独自の配送ルートを構築しており、午前中の注文は午後に届ける、夕方までに入った注文は翌朝届けるという仕組みを全国に構築している。
取り扱いの商品の情報は「オレンジブック」としてカタログにまとめており、Webサイトでも「オレンジブック.com」として商品情報を公開する。
同社ビジネスの特徴として、卸売業でありながらエンドユーザーとも直接取引する二重性がある。問屋という業態として、従来は店舗や機械工具商社、溶接材料を扱う商社を代理店としていたが、現在は「MonotaRO」のようなネット通販企業、ホームセンター、プロショップとも取引がある。
数見氏は、現在のこの業容を実現できたのは「基幹系システムのパフォーマンスがあればこそ」と語る。だが同社の強さはシステムだけに求められるものではない。在庫に裏付けられた即納のための仕組みや独自のKPI、取引先を巻き込んだデジタルトランスフォーメーション(DX)など、競争力を維持するための考え抜かれた戦略こそが本質だ。
取引先も含めたサプライチェーン全体の「脱・紙、FAX」がDXにつながる
同社のDXの推進は、「自社だけでなく、上流のメーカー、下流の販売店、最終ユーザーまでを見通した戦略が必要」と数見氏は語る。
「仕入れ先、販売店の多様なニーズに合応えるため、トラスコ自身がいろいろな形の“コンセント”を持つイメージ。トラスコにつなげば、ほしい商品が何でも明日から使えると伝えている」
この「コンセント」モデル考案の背景には、ビジネスモデル全体のDX推進を狙った作戦がある。
ただし、トラスコは問屋としての機能に徹し、販売店を中抜きすることはしない。デジタルのチャネルも強化しているが、仮にエンドユーザーから直接トラスコに注文があっても、それは販売店経由の注文として処理される。販売店から見ると、共存共栄のパートナーであるという存在だ。
新基幹システムで現場業務を自動化
こうしたトラスコのサプライチェーンを巻き込んだDXの仕掛けを支えるのが、2020年1月に稼働した同社の新基幹システムが「パラダイス3」だ。多数の商品情報、多数の取引先とのデータをつなぐ「コンセント」機能の中核を担う。以降では、同社パラダイス3の詳細を見ていく。
システム更新のコンセプトは、「自動化できる仕事は、システムで全て自動化」だ。基幹システムであるERP「SAP S/4HANA」を中心に、データウェアハウスの「SAP BW/4HANA」、分析・予測システム「SAP HANA2.0」、そしてクラウドの業務アプリケーション群の「SAP Cloud Platform」を組み合わせた大規模なシステムだ。システム刷新は、SAPジャパン、日本IBM、野村総合研究所(NRI)とトラスコ中山の4社プロジェクトとして進めた。「各社の知恵を持ち寄って開発したクラウドシステムだ」と数見氏は説明する。
1日当たり5万件の問い合わせに5秒で対応、「即答名人」
新基幹システムには業務を改善するさまざまな新機能を盛り込んだ。
例えば「即答名人」と名付けた顧客からの見積もり依頼を自動回答するシステムがある。同社では毎日、全国の支店に5万件の価格、納期に関する問い合わせが電話やメール、FAXで舞い込み、それに日々社員が対応していた。だが、見積もり依頼から受注への転換率は20%程度にとどまっていた。せっかく人手と時間をかけているのに、成果につながっていない状況を改善するために、自動回答システムを開発した。
自動回答システムでは、価格は過去の実績を基にしたロジックを走らせ、納期は全拠点の在庫を瞬時にチェックして、わずか5秒程度で回答する。加えて見積もり依頼をAI(人工知能)で解析して価格と納期を自動算出するダイナミックプライシングも実現している。
数見氏は、このシステムによって見積もりから受注に至る割合が27%まで向上している点に注目している。「価格の精度だけでなく、納期の回答スピードが効いている可能性もある。作業の効率化だけでなく、テクノロジーによって業務の成果も改善できた例ではないかと思っている」
取引先の業務をデジタル化するWeb業務連携システム「POLARIO」の提供
仕入れ先とのWeb業務提携システム「POLARIO」はサプライチェーン全体デジタル化を推進する役割を担う。約2500社との受発注などの取引をFAXや郵送といった紙からPOLARIOに一本化した。一本化に当たっては、システムを無料で取引先に開放している。取引先にも利用してもらうことで、見積もりや納期回答を自動化した。加えて現在はチャット形式のコミュニケーションアプリの導入も進めるなど、社外との情報連携にも力を入れる。
この他、在庫ヒット率向上に向けては、新在庫管理システム「ザイコン3」により、需要予測の高度化を図った。従来、倉庫の購買担当者が勘と経験を基にExcelなどを駆使して注文していたところを、実績値を基にしたデータ分析により、全品目の需要を、予測値を基に発注できる仕組みを整えているこれにより欠品による機会損失を抑制でき、欠品対応にかかる時間も削減できたという。
さらに同社の在庫データを卸売り先の取引先企業にも開示し、販売店側に共有することで、各社がECサイトでトラスコの在庫を販売店の在庫のように見せて販売してもらうこともできる。こうしたシステム連携による売り上げ貢献は実に年間267億円に達しているという。
自社倉庫の在庫を顧客ストックに拡張する「置き工具」システム
そして、数見氏が究極の販売形態と言う、置き薬ならぬ「置き工具」の取り組みも始めている。顧客企業の工場内に常に在庫を置き、必要な時に買ってもらう形態で、「MROストッカー」と呼んでいる。
こうした仕組みは在庫情報をリアルタイムで収集でき、かつ発注数量を顧客ごとに把握し、請求処理などに正確に情報を渡せることが前提だ。補充のしきい値も把握し、不足すれば補充するアクションまでを運用する必要がある。
「以前から置き工具の取り組みはしていたが、当時はテクノロジーがなくて対応が不十分だったため、すぐに欠品してしまったり、補充に時間がかかってしまったりと機能しなかった。今はテクノロジーの力によって予測結果を基に補充計画を立てる対応が可能になっている。今後さらにユーザー体験の向上に寄与していきたい」
取引先に向けた情報の公開や連携に積極的な同社だが、こうしたデータは経営陣の意思決定でも大いに活用されている。同社の重要KPIである「在庫ヒット率」や「即納率」などは経営ダッシュボードでリアルタイムに確認できるのはもちろん、従業員も同じ情報を確認できるようにしている。
IT部門がDXをリードする
これらの現場改革を実現する新基幹システムの導入は、数見氏ら情報システム部門が主導した。
「これまでは、業務部門の要望にIT部門が応える形でITの導入を進めてきた。しかしこれからは、IT部門が主導して全社のITを変革していくことが必要だと思う。パラダイス3の導入では、IT部門がテクノロジーの視点も含めて、業務部門をリードしていく形を取った」
だが、業務部門はITの変革に総論賛成でも、各論になると「そうは言っても、今までの自分のやり方が変わるのは困る」といった声が増えてくる。業務の現場をよく知る数見氏は、その事情を理解した上で、ひるまず進むことが重要と話す。
「一度や二度、話をした程度では納得してもらえない。ここには多くの時間を費やし、また、相手の気持ちに徹底的に寄り添う気持ちがないと進まない。業務部門の先には『顧客』の存在があり、簡単には変えられない事情もある。そういうところを踏まえて共感しながら、時には強くリードをして、判断を示す必要がある」
また、IT部門のリソースの問題から現場の要望には優先順位を付けなければいけないときがある。そこは、IT部門の責任で判断することも必要だという。
これまで同社のIT投資は、従来のシステムの維持管理にかかる費用が大きく、DX、イノベーションに回す部分は少なかった。だが今回の自動化をコンセプトにした新システムで、DXの推進を加速する道筋を付けたという。ここで重要だったのは定量的な効果の提示だ。
「システムを変更することで維持費用、リプレース費用を減らしてその分をDX投資に回せることを、絵を描き、数字をしっかり開示することで、社内に『なるほど』と思わせる努力が必要」
基幹系システムのパフォーマンスは企業の業容を規定する
今後は、今回の新基幹システムで導入したデータ提携をはじめ、社内に蓄積したデータを顧客へフィードバックする動きも強化する計画だ。
「当社では2003年にSAPのR/3を導入した。そこから現在までの売り上げは約2倍に増えている。その過程では相当なトランザクションが生じていることは間違いない。R/3に変える前のシステムのままだったら、今の業容にはなっていなかったはずだ」
トップから現場まで、テクノロジーの力を理解し、大胆かつきめ細かい業務改善に取り組むトラスコ中山。新基幹システムが稼働し、同社のDXはさらに加速するだろう。
数見氏は最後に、「感染症の流行によって、社会は大きなターニングポイントにある。ここでどう行動するかが問われている。どうせなら自分たちもトランフォーメーションして、社員が新しい夢に向かって働ける会社になっていきたい」と語った。
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