コロナ禍があぶり出した日本の“デジタル敗戦“ 「デジタル化推進基本法」に向けた準備と「逆都市化」の提言とは
マイナンバーカードはなぜ躓いたのか――。前IT大臣が語った「20年間の日本のIT政策の敗戦」とは。反省を踏まえた新たな提言「デジタル・ニッポン2020」は次の10年で日本をデジタル化するのだろうか。
「“デジタル敗戦”だと思っている」――無力だったデジタル化政策
「ヒトが動けなくなって、モノとカネもロックされた状態を初めて体験した。経済がここまで落ち込むことも経験したことがなく、前例のない形の大不況に陥っている。この状況に対して、今までの国のデジタル政策は役に立たなかった。私自身は『デジタル敗戦』だと思っている」
全編オンライン化されたSAPジャパンのイベント「SAP NOW」(2020年7月9日開催)では基調講演に平井卓也前IT・科学技術大臣(自民党デジタル社会推進特別委員長)が登壇した。同氏が講演冒頭、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による社会の状況に触れて語ったのが冒頭の一文だ。パンデミックに対して「社会がデジタルテクノロジーに十分に対応できないという現状に対して、国のデジタル政策をけん引してきた1人として大いに反省している」と語る。
特別定額給付金を交付する過程では、マイナンバー普及率の悪さやオンライン申請システムの整備の甘さが指摘され、感染者数などの報告では数字のばらつきや計算間違いが多数指摘された。保健所の業務の多くがいまだにFAXと帳票、手作業の集計を基本としており、書式の統一もされ例無い状況が明らかになった。他国が当たり前にできている集計業務の対応だけで、現場が疲弊するほどに業務負荷が高まった。情報連携では過去の法規制が障壁となり、スムーズな運用ができなかった。
平井氏は、この現状を立て直してデジタル化を進めることを目指した、自民党による政策提言「デジタル・ニッポン2020」立案の中心人物だ。次の国会で議案提出を目指すこの政策の検討は、過去のいろいろな政策を踏まえて、今回の新型コロナウイルス感染症の流行によって起きた事象を冷静に分析し、何がダメだったのかを省みることから始めたという。
2001年から始めたデジタル化推進、IT基本法を見直す契機になった2つの失敗
平井氏らが作る「デジタル社会推進特別委員会」は、2019年に組織された。2001年に高度情報通信ネットワーク社会形成基本法が施行されたことをきっかけに立ち上げられた「e-Japan特命委員会」を源流とする。
そもそも自民党がデジタル・ニッポン構想を検討し始めたのは2010年、野党時代に政府への申し入れとして提起した「新ICT戦略」がきっかけだ。
「2012年、与党に復帰してからは政策提言に加えて、議員立法によるIT政策も活発に推進した。2014年にサイバーセキュリティ基本法、2016年に官民データ活用推進基本法を議員立法として成立させた」
平井氏は、この2本の法律に対して、「世間の注目を集められなかった」と悔やむ。「当時、デジタルはまだまだ自分とは関係ないと思っている人が多かった」と同氏は振り返る。
「この2本の議員立法を作るときに、実は2001年に成立したIT基本法を全く改正しなかったことが私の反省点だ。だが逆に、当時の考えで改正していれば今となっては不十分だった気もしており、これから改正をしていくチャンスではないかと思っている」
新型コロナウイルス感染症の流行をきっかけに、社会経済を維持するにはデジタル化が必要だということを多くの人がワガコトととして思い知った今、平井氏はIT基本法を「デジタル化推進基本法」として大幅に改正することを提起する。
「これができなければ、日本のデジタル化は進まない。戦略や戦術ができたとしても、社会全体をどうするかという大きな理念が国民と共有できない限り、国のデジタル化は掛け声倒れになってしまう。これから目指す社会の在り方をどうするか、個人情報、基本的人権、環境、データのコントロール権の問題など議論を重ね、IT基本法を改正していく決意だ」
都市化と逆都市化、デジタル田園都市構想は今だからこそ可能
平井氏は新型コロナウイルス感染症の流行をきっかけとした社会の変化に触れ、今後は「逆都市化」が重要になると示唆する。
「今までは、人口が密集していることは価値が高いとされてきた。都市の土地の値段は高く、賃貸料も高い。経済をけん引するのは人口密集地域だとされてきた。それが新型コロナウイルス感染症により、人口密集地域のリスクが高いことが明らかになった。人が密集することが脅威になるとすれば、今までの既成概念が崩れる。その手始めが多くの人が実行した在宅勤務だ」
逆都市化のルーツについて、平井氏は大平正芳元首相が今から40年以上前の1979年に提唱した「田園都市国家の構想」を取り上げる。この構想が当時目指したのは、都市の持つ高い生産性と情報量を、田園都市の持つ自然、潤いのある健康的な暮らしと融合させる都市国家の姿だ。この考えを現代の状況に合わせて、発展、進化させようというのだ。
「当時は田中角栄氏の日本列島改造論、つまり地方の都市化が主流だったが、それに対して大平元首相はサステナブルな国家を目指していた。またこれは、SAPが言っている、レジリエンシーとサスティナビリティ、プロフィタビリティの両立とも通じる」
40年前に立てられた田園都市国家の理念のうち、当時は都市だけが持っていた高い生産性と良質な情報は、現在のインターネット環境を前提にすれば地方でも利用可能だ。平井氏は、情報面の都市と地方のギャップが完全にクリアされたことで、豊かな自然や濃密な人間関係など、地方の特徴が価値を持ってくると語る。
効率化からハピネスへ
平井氏は、新型コロナウイルス感染症の流行は負の出来事だったが、これをポジティブなスパイラルに変える国家構想を描くには、新たな指標が必要だと話す。つまり幸福度、QOL(Quality Of Life)などを尺度にして、経済の好循環を作れないかということを検討しているという。
「これまでのIT政策では、効率性、利便性が追求され、QOLやハピネスというような尺度は取り入れられていなかった。しかし人間がアナログの存在である以上、そこを考え直す時だ。人間中心のデジタル社会を作ること。ハピネスとQOLという指標で見ると、東京は多くのデータがよくない。いろいろな街があって楽しいし、エキサイティングなところはあるが、通勤の満員電車や、感染リスクが高いエリアが多くあることを考えると、地方都市が明らかに見直されている」
国内でも、会津若松市がイノベーションセンターを作り、東京からエンジニアが移住して仕事をしている先行事例がある。
「こうした動きは今後加速すると思うが、大平元首相は『地域には地域の特徴がある。その特徴を踏まえて政策を作ることは、地域の人しかできない』と語っていた。新しいデジタライゼーションを実行するにあたり、地域が主導し、働く人たちの選択肢を広げていくというのが重要なことだ」
これまで構想していたスーパーシティ、スマートシティも、より人間中心に再検討して、もう一段進化させていかなければいけないと平井氏は言う。
マイナンバーカードはなぜつまづいたか
デジタル・ニッポン2020構想の実現で避けて通れないのは、個人情報保護とデータ活用の問題だ。なかでも最大の課題といわれるマイナンバーの普及をどう進めるのか。
日本のマイナンバーカードの発行はまだ2000万枚程度。平井氏は、民間利用の重要性を指摘する。例えばエストニアで普及率99%の個人IDカードも、最初の数年は普及が思わしくなかった。加速したきっかけは、個人IDにひも付けられた民間サービスの利用が活性化してからだという。
「日本が間違ってしまったのは、マイナンバーカードを『実印』のように扱ってしまい、金庫に入れるような存在にしてしまったことだ。国がマイナンバーをキーに個人情報を全部ひも付けてのぞけるようにするのではないかという誤解が、ずっと続いてきた。マイナンバーの本当の意味を、国民にきちんと伝えていくことが行政のデジタル化には絶対に必要だ」
自分が自分であることを証明する、本当の意味でのIDがないままデジタル社会は成り立たない。平井氏は、少しずつだが、マイナンバーカードを国民が便利な物として認識し始めていると話す。今後、健康保険証と一体化すれば、運転免許証と同じ個人証明の手段として使えるようになる。9月から始まるマイナポイントのキャッシュバック事業にも期待を寄せる。
「マイナンバーカードを持ち歩けば便利で、万一落としても、クレジットカードと比べても断然リスクが少ないということが、徐々に理解されていくはずだ。そうして普及が進み、マイナンバーカードが国民全員に行き渡ったあとは、高齢化社会に立ち向かうわれわれとしては、自宅にいても投票できる選挙制度を作ることになる」
また、今回の新型コロナウイルス感染症拡大への対応では、思った以上にデジタル化が進んだ分野が2つあると平井氏は言う。それは医療と教育だ。学校に行けない、感染を恐れて病院に行かない人にとって、オンラインの診療、教育は唯一の対応策だった。そこで提言には、医療と教育に関して、2つの「デジタルツイン」を作る構想を盛り込んでいる。
必ず来る「次のパンデミック」で右往左往しないために
平井氏は最後に、「医療、教育をはじめ、新型コロナウイルス感染症の流行によって起きたさまざまな問題について、ことが終息した際には元通りに戻った方がいいと思っている人が実はたくさんいる。でも、私は国民に『前に戻していいんですか』と問いたい。パンデミックは、過去20年間に3回起きている。今後また起きる可能性は高い。その度に毎回右往左往するようなことがあっていいのか。そうならないよう備える必要がある」と、変革の重要性を訴えた。
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