老舗着物屋の情シスがPower Platformをコツコツ学んだら県のDXモデルに選ばれた話
佐賀県に本社を置く和服小売業の鈴花が、県のDXフラグシップモデルに選ばれた。伝統を重んじる地方の中小企業のDXのきっかけは、一人の情シスが「Microsoft Power Platform」で社内の小さな課題を解決したことだった。
鈴花は、九州を中心に西日本で和服小売業を展開する老舗呉服店だ。2020年で創業120周年を迎え、長年にわたって和服の魅力を発信し続けてきた。最近では、伝統を重んじる保守的な老舗着物屋のイメージとは裏腹に、ノーコード/ローコード開発ツールやBIツールによるデジタル化を積極的に進め、ITを使った現場の課題解決や顧客データの分析に基づくサービスの向上に努めている。こうした取り組みの中で、2022年5月には佐賀県のDX(デジタルトランスフォーメーション)フラグシップモデルに選出された。
まさに、中堅・中小企業のDXモデルともいえる同社だが、少し前までは電話や自宅訪問を中心とした旧来の営業の在り方や、顧客の趣味嗜好といった情報が担当販売員に属人化していたことに課題を感じていた。同社の従業員は60代が中心でPCに不慣れな人も多く、DXのプロジェクトが立ち上がった際も「自分たちの培ってきたノウハウが吸い上げられるだけなのでは」という懐疑的な声が上がったという。
そんな同社が、どのようにしてDXの先端を行くようになったのか。中小企業がDXを推進するためのヒントを、鈴花の有田裕次氏(DX推進室 プロジェクトリーダー)、井上 司氏(システム課)に聞いた。
一人の情シスが「Power BI」を使ってみたことがきっかけ
鈴花のDXは、システム課の一人の担当者が「Microsoft Power Platform」(以下、Power Platform)で社内の小さな課題を解決したことから始まった。
同社のシステム課は2人体制で、グループ会社の分を含むPC300台の管理や約80店舗のネットインフラの管理、業務システムの運用や開発、ヘルプデスク業務を担当している。
鈴花の情報システム部門、井上氏が初めて「Microsoft Power BI」(以下、Power BI)に出会ったのは2018年、複合機の利用状況を可視化しようと思い立った時だった。鈴花は各店舗でFAXやモノクロプリンタを利用していたが、2018年に複合機を導入したところ、不必要な印刷やコピーが発生してコストがかさむようになった。そこで管理ツールから複合機のカウンター情報を取り出してデータベースに格納し、複合機の利用状況と導入効果を可視化することにしたのだ。
カウンター情報の取り出しに成功し、可視化の方法として「Power BIによるデータの分析」を使うところまでは決めたが、肝心の操作方法が分からない。井上氏はPower BIを学ぶ目的で、オンラインのPower BI勉強会に参加することにした。
2021年1月にPower BI勉強会に参加した井上氏は、他の参加者からの指摘でデータモデリングの手法に間違いがあることに気付いたという。それまではカウンター情報を管理ツールから取り出したままの状態で分析していたが、指摘を受けて「Power Query」でカウンター情報を分析に適したファクトテーブルに整えた。
その結果、適切な分析を基にして印刷枚数が多い店舗を確認したり、印刷枚数の上限を店舗ごとに自動で管理したりすることで、印刷コストを削減できた。
「PowerBI勉強会でさまざまな気付きを得たり、刺激を受けたりしました。これがきっかけで『Microsoft Power Apps』(以下、Power Apps)や『Microsoft Power Automate』(以下、Power Automate)といった他のPower Platform製品の勉強も始めました」(井上氏)
この頃から、井上氏は毎朝4時半に起きて6時ごろまで勉強をするようになった。通常業務の傍らで勉強を続けることは簡単なことではないが、「勉強会で良い発表をしたいという気持ちも原動力になりました」と井上氏は話す。
一人で勉強をはじめた井上氏だが、社内でもその内容を活用したいと考えるようになる。そこで、Power BI、Power Query、「Power Automate for desktop」などの社内勉強会を月に1回開催することを提案した。この社内勉強会が鈴花の市民開発の土壌を作るきっかけになった。
ハレの「和服の日」を盛り上げる「Power Platform」のしかけ
井上氏が次に取り掛かったのは、社内イベント「和服の日」の状況をPower Platformの機能で社内共有する取り組みだった。ちょうどこの頃、もう一人のシステム課の従業員が半年間の育休を取ることになり、井上氏一人での挑戦だった。
「和服の日」とは、鈴花が創業120周年を記念して「10月29日を和服の日」として日本記念日協会に申請し、認定されたものだ。従業員がそろって和服姿で街中を歩き和服のPRをするハレの日として社内でも重要なイベントだった。しかし、2021年は新型コロナウイルス感染症の拡大により、4つのグループに分かれて実施することになったという。
「従業員のモチベーションを上げるためにも、社内でイベントを共有する仕組みが必要でした」と語る井上氏。早速、和服の日の実行委員会にPower Platformを利用して各グループの状況を共有する仕組みを提案した。
まず、Power Appsで作成したスマートフォンのアプリケーションで従業員が撮った写真を共有し、Power Automateでその写真を分析する。そのデータを基に、Power BIで撮影場所やコース別写真数ランキングの他、男性と女性の比率、笑顔の写真の割合など可視化する。
この取り組みは社内で好評を博し、インパクトを残した。この頃から徐々に、一部の従業員が社内勉強会で学んだことを生かして社内の業務を効率化するようになったという。
「業務システムから取得したExcelのデータをPower Queryで加工して分析したり、和服の日のアンケートをFormsで作成して結果をPower BIで可視化したりする社員が現れました。社内のITリテラシーが徐々に向上しているのを感じました」(井上氏)
審査会を経て、無事「佐賀県のDXフラグシップモデル」に採択される
2022年3月には、育休を取得していたシステム課の従業員が復帰したこともあり、井上氏はPower Platformを活用してさらに規模の大きいプロジェクトを実行しようと考える。しかし、そこでコストの壁が立ちはだかった。計画を半分諦めかけたときDXを推進する企業に対して県が補助金を出す制度について知った。
「補助金は狭き門で、小売業では1枠のみの募集でした。採択されるか分かりませんでしたが、思い切って応募しました」(井上氏)
応募の結果、鈴花は2022年5月に「佐賀県中小企業DXフラグシップモデル創出事業」に採択され、システム課や業務部門、営業部門の横断組織であるDX推進室が発足した。
どのようなプロジェクトを進めているのか。鈴花では、営業担当と顧客が密接な関係にある分、担当者が辞めると顧客が離反してしまうことが課題だった。顧客の趣味嗜好や、接客情報といった情報も、担当営業がメモなどでそれぞれ記録していて、会社で保有していた情報はわずかだったという。
「基幹システムには顧客の名前や住所、生年月日、電話番号などは登録されていましたが、詳細な情報は担当者それぞれに属人化していたので、これを会社の資産として活用したいという思いがありました」とDX推進室のプロジェクトリーダーである有田氏は振り返る。
さらにコロナ禍で対面での営業活動が難しくなり、対面以外の方法で顧客との接点を増やさなければならないという危機感もあった。
鈴花は、こうした課題を解決するために、幾つかのアプリケーションから成る仕組みを考えた。具体的には、販売員向けアプリケーション「顧客電子カルテ」、顧客向けアプリケーション「和服デジタルクローゼット」、そして「LINE」などのSNSアプリケーションだ。今までにはない顧客接点を増やすとともに、これらの接点から収集したデータを「データ利活用基盤」に一元的に蓄積、分析することでよりきめ細かな和服サービスを目指すという壮大な計画だった。
100台のiPadと「顧客電子カルテ」で顧客情報を会社の資産に
「顧客電子カルテ」はPower Appsによる販売員向けアプリケーションで、販売員が購買データにひも付けて写真をアップロードしたり、顧客のイベント参加記録、趣味嗜好に関するデータを登録したりするためのものだ。これまで、販売員が手元のメモなどで独自に記録していた情報を顧客電子カルテに蓄積することで、属人化していた情報を会社の資産として活用できるようになった。
販売員が顧客電子カルテにアクセスする端末として、100台の「iPad」も導入した。同社の従業員の年齢層は60代が中心でPCには不慣れな人も多いが、入力端末をタブレットにしたこと、「使いやすいUI」を意識してアプリケーションを井上氏が開発したことで、誰もが迷うことなく利用できているという。
「はじめは、SalesforceなどのSFAサービスを利用することも考えましたが、費用がかかることと、専門的な知識が必要なこと、当社がそこまで多くの機能を求めていなかったことで採用に至りませんでした。Power Platformはローコ―ドで『ポチポチ』とボタンを押すだけの操作でイメージしたものが作れるので、市民開発に向いていると思って採用しました」(井上氏)
「LINE」「和服デジタルクローゼット」で新しい提案が可能に
2022年12月に開設した公式のLINEアプリケーションは、新たなオンラインの接点として、コンテンツの配信や催事・イベントの案内をする場として機能している。
「当社は数十年にわたって、担当者がお客さまのご自宅に訪問したり、お電話したりしてお客さまとのつながりを築いてきましたが、必ずしもその営業の在り方がフィットしないケースも出てきました。SNSは、お客さまのタイミングで情報を読んでいただけるので新たな接点として時代に合っていると思い採用しました」(有田氏)
そこで鈴花は、LINEを通じて趣味嗜好に関するアンケートを収集し、その結果を基に個別の案内をするといったオフラインでは難しい提案もできるようになった。
「『猫派or犬派』というアンケートを配信して、猫派と答えた人には猫柄の商品をお勧めすることもできます。LINEのアカウント情報は、基幹システムの顧客情報とひも付けられるので、ここ1年間で着物を買った方にだけクリーニングのクーポンを配信するといったキャンペーンもできるようになりました」(有田氏)
最後の「和服デジタルクローゼット」は顧客が自分の着物や小物類を写真に撮ってアプリケーションで管理できるサービスだ。和服は洋服と違って「自分が和箪笥の中に何を持っているのか」をチェックする機会が少ない。顧客が自分の持ち物を把握して、買い物がしやすくなるようにと考案した。さらに、和服の保管場所やメンテナンスに悩みを抱える顧客向けに一定期間持ち物を預かる「きもの保管サービス」を準備中だ。
「顧客が離反しそう」もPower Automateで通知
新しい顧客接点によって鈴花に集まるデータは飛躍的に増えることになった。同社はこれらの情報を蓄積して、可視化、分析することで、より良いサービスにつなげ、顧客との結び付きを強くすることを目指しているという。
顧客電子カルテやLINE、和服デジタルクローゼット、そして基幹システムの情報は、データ利活用基盤である「Microsoft Dataverse」に蓄積され、Power BIによって可視化、分析できる。これらの分析結果をもとに、従業員のアクションを促す仕組みもPower Automateの機能で作成している最中だ。
「『顧客が離反しそうだ』という予兆があったら、その結果をPower Automateのプロセス自動化機能で従業員のMicrosoft Teams(以下、Teams)アカウントに通知して、従業員のアクションを促す仕組みを考えています。似たような例として、既にDataverseのデータをもとに、Power Automateで顧客の誕生日をTeamsに自動で通知するフローを作成しました」(井上氏)
さらに、各アプリケーションに格納された顧客情報はPower Platformのデータ連携機能などを通じて販売員向けアプリケーションの「顧客電子カルテ」にも逐次フィードバックされる。各店舗の販売員は顧客電子カルテの詳細な情報をタブレットで確認しながら接客できるようになったという。
「今までは、販売員がバックヤードに戻って、有線ネットワークにつながったPCから基幹システムの情報を確認する必要がありましたが、従来よりも詳しい情報を店舗のタブレットですぐに確認できるようになりました。『LINEに登録しているかどうか』『どのような着物をお持ちなのか』といった情報をその場で確認しながら、お客さまに寄り添った提案ができるようになりました」(有田氏)
こうした仕組みによって得られるメリットは多岐にわたるが、データをもとに「顧客が何に興味があり、何を提供すれば満足してもらえるのか」ということを考える機会が増えたことで「会社と顧客の距離が近くなったこと」が最もよかったことだったと有田氏は話す。同社が120年にわたって培ってきたきめ細かい和服サービスの強みがITでさらに強化されている。
地方の中小企業でもDXを推進できる
鈴花がDXに挑戦したきっかけは、井上氏が複合機の利用状況を分析するためにPower BIを学び始めたことだった。井上氏は当時を振り返って次のように語る。
「Power BI勉強会に参加して、業務部門の方がPower BIで課題を解決していることを知り、『業務部門の方が使えるのであれば、地方の着物屋でも活用できるかもしれない』と考えたのが始まりです。その後情シスコミュニティーにも参加するようになり、参加者の皆さんの発表に刺激を受けて、『自分のアイデアを社内で実現してみたい』と思うようになりました。勉強会に参加していなければ、和服の日のサービスや、県のDXフラグシップモデルには挑戦していなかったと思います」(井上氏)
最後に井上氏と有田氏は、地方の中小企業でDXを推進する秘訣を次のように語った。
「最初から大きなことに挑戦しようとすると、失敗する確率が高くなると思います。当社の場合、小さな課題解決から始めて、徐々にデジタル化の範囲を広げたことが成功の秘訣でした。地方の着物屋でも、コツコツと勉強すれば県のDXフラグシップモデルになれるのですから、地方だからできない、中小企業だからできないということはありません。当社の事例をきっかけにして、同じような立場の方々に『自分も新しいことに挑戦してみよう』と思っていただけたら非常にうれしいですね」(井上氏)
「当社は限られたメンバーでDXに挑戦したため、相当な業務負荷の中でメンバーのモチベーションを維持することに苦労しました。会社を変革するということについては、人の考え方や感情がからむものです。DXをはじめた当初は現場の販売員から『自分たちの培ってきたノウハウが吸い上げられるだけなのでは』という声や、ITに対する戸惑いの声も上がりました。現場の従業員に会社の意図を理解してもらうために対話を重ねたり、誰もが分かりやすいツールを使ったりしてDXへの意識を変えることが大切です」(有田氏)
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