自分の仕事を無意味と考える人に当てはまる「共通の条件」
従業員が社会的に無意味と考える仕事の定量化を試みている研究がある。その結果、自身の仕事を無意味だと考える人には共通の条件があった。
米国の人類学者であるデイヴィッド・グレーバー氏は2013年、「幾つかの仕事は実は無意味なものだ」と主張した(注1)。
「特に欧州と北米では、多くの人々が内心『必要がない』と思っている仕事をして一生を過ごしている。この状況から生じる道徳的かつ精神的なダメージは甚大だ。それは私たちの魂に刻まれた傷である。しかし、誰もそれについて語らない」(グレーバー氏)
グレーバー氏は次のようにも主張した。
「テクノロジーの進歩によって多くの仕事が不要になったが、管理のような不必要な仕事が増えた。これらの仕事は社会的に不要であり、無意味なものだ」
グレーバー氏の主張を基に、仕事の重要性を定量化しようとした最近の研究がある。その結果から、自身の仕事を無意味だと考える人の共通の条件が見つかった。
自分の仕事を無意味と考える人の共通条件
2015年に行われた米国の労働条件調査によると、回答者の19%以上は「自分の仕事が社会的に不要だ」と認識していることが分かった(注2)。
教育やトレーニング、図書館での仕事に就く人の4.6%が自分の仕事を「社会的に役立たない」と感じる一方で、運輸および物流に関係する仕事に就く人の場合は31.7%が同様に感じていた。また、芸術やデザイン、エンターテインメント、スポーツ、メディアに関連する仕事に就く人が同様に感じる割合は、先の2つの数値の中間に位置していた。
調査によると「民間企業で働く人やチームワークを必要としない仕事に就く人、給与所得者」は、「非営利団体や公共の組織で働く人やチームワークを必要とする仕事に就く人、自営業者」よりも、自分の仕事が社会的に不要だと考える傾向が強いことが分かった。
仕事が実際に社会に価値をもたらしていなかったり、不利な労働条件だったりする場合に、人々は自分の仕事を社会的に不要なものだと感じるようだ。
著者であり、チューリッヒ大学社会学部の博士研究員であるシモン・ワロ氏は次のように書いている。
「社会的に不要な仕事は、本来ならば社内に存在しないはずだ。それにも関わらず、それらが存在しているのは不思議な現象である。一部の人が特定の仕事を不要だと思いこんでいるだけかもしれないが、実際に不要な仕事もあるのかもしれない」
またワロ氏は、人々が仕事に多くの意味を見出せるようにするために、労働条件の改善を提案した。具体的には、職場での社会的な交流を増やし、従業員の疎外感を減少させることを勧めている。社会的なレベルでは、より大規模な取り組みが必要とされるだろう。
ワロ氏は「グレイバー氏が提案するように、大規模な取り組みには、基本的所得の普遍的な提供や、政策立案者が無駄な活動を規制し、社会に求められる活動をすることが含まれるだろう」と述べている。例えば、金融業界に制限を課したり、販売戦略を制限して消費主義を減少させたりするなどの措置も考えられる。
SNSで、私の友人や知人に「自分の仕事に意味があると思うか」尋ねたところ、当然ながら沈黙が返ってきた。自分の仕事が不要だと公然と認める人がいるだろうか。それはプロの行動として疑問であり、グレイバー氏が言うように、そのような感情を口にすることは「私たちの魂に刻まれた傷」になるのだ。
不要な仕事に関するコラムの執筆こそ不要な仕事なのかもしれない。しかし、楽しいのもまた事実だ。
※本稿は、HR Diveの記者であるジンジャー・クリスト氏によるコラムである。
出典:Is your job nonsense?(HR Dive)
注1:On the Phenomenon of Bullshit Jobs(Atlas)
注2:‘Bullshit’ After All? Why People Consider Their Jobs Socially Useless(Sage Journals)
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