社員1万人が開発者、4000本の業務アプリを150のチームで作ったLIXILの業務改善の裏話
「現場にITツールやデータを自由に使わせるのはリスク」と思われがちだが、そうした考えを捨て、LIXILはユーザー部門にツール開放し、従業員自らが業務改善に取り組める環境を整備した。
2022年から4年連続で経済産業省の「DX銘柄」に選ばれ、さらに「DXプラチナ企業2025-2027」にも選定されたLIXIL。評価された背景には、単なるITツールの活用にとどまらない全社的なカルチャー変革と、それを支える独自のプロジェクトマネジメントにあった。
プロジェクトを円滑に進めるための方法論とそれを支えるナレッジ管理ツールの活用について、同社のグローバルITサービスを統括するDigital部門の岩崎 磨氏による講演を基に、同社の取った業務改革のアプローチを解説する。
ITツールに依存しない本質的な変革を狙う「LIXIL流DX」とは
同社のデジタルトランスフォーメーション(DX)は2つの重点領域にフォーカスしている。一つはカスタマーエクスペリエンス(CX)、つまり顧客にどのような価値や体験を提供するかの追求だ。そして、もう一つがエンプロイーエクスペリエンス(EX)。従業員がITを活用して働く体験価値の向上だ。
ただし、同社では「DX」という言葉はあえて使わない。多くの場合、DXはツールの導入やデジタル化、ITによる事業変革と捉えられるが、LIXILの取り組みは企業カルチャーや働き方、体験も含めたトランスフォーメーションに重きを置いているためだ。
CXで重視するのは、リアルおよびバーチャルショールームへの集客と、コンテンツを通じて製品理解を深めてもらうことだ。顧客にどのような付加価値を体感してもらえるかが最大の焦点だ。そのために力を入れているのが、リアルショールームとWebブラウザの双方で利用できるデジタルサービスだ。
例えば、図面や写真を基に家具の配置や美観を確認しながら相談できる即日見積もりサービスや、360度VRによるショールームのウォークスルー体験、商品の特徴を解説する動画、顧客の室内写真と製品写真のリアルタイム合成、さらにオンライン個別相談など、多彩な顧客サービスを提供する。
これに対して岩崎氏は、「これが当社の目指す顧客体験価値です。顧客とのタッチポイントを増やし、体験価値を高めることで最終的に当社製品を選んでもらう。こうした取り組みの結果、リアルとオンラインのショールーム訪問者数は全体的に増加し、オンライン比率も上昇しています。技術を付加価値としてどう提供していくかを軸にCXに取り組んでいます」と語る。
5万人超の従業員で進める「自律的な業務改善」とは
もう一方のEXへの取り組みにおいては、日常業務の簡素化と、従業員の業務に対する不満解消を主軸としている。日々複雑化する業務をシンプルにし、従業員が働く中で感じる不便やツールの使いにくさに対応し、働きやすさを向上させる。とはいえ、従業員の立場や業務内容は多岐にわたり、不満や課題のポイントも人それぞれだ。
従来は、こうした業務上の課題に対してIT部門に解決を委ね、合理化や効率化を図るIT製品やサービスを導入するのが一般的だった。セキュリティやガバナンスの観点から考えるとこのプロセスは必要だが、環境変化を受けて「デジタルの民主化」の方向へ舵を切った。データの集約とノーコード開発を軸に、従業員自らが多様なツールで課題を解決できる社内環境づくりを推進している。
「従業員がノーコード開発ツールを利用するのはリスクも伴います。ですが、最新のツールを活用して業務価値を創出することの方が圧倒的に企業価値に寄与するのです。データも開発ツールもためらうことなく社内に開放しています」(岩崎氏)
現在はSAP製の基幹システムや、自社製CRMツールのデータを「Google Cloud Platform」(GCP)の「BigQuery」に集約し、BigQueryを介してデータを活用する戦略を進めている。
「集約されたデータをノーコードツールで開発したアプリやビジュアライズツール、AIオートメーションツールなどで活用し、従業員がそれぞれの方法で価値を生み出す。これが当社の言うデータと開発の民主化であり、その結果、全従業員のデジタル人材化が進み、強い現場づくりと自発的に考え行動する新しい企業文化を創造しています」(岩崎氏)
この取り組みの実践により、同社5万3000人の従業員のうち、ノーコードツールでアプリを作成した経験者は1万人を超えた。2021年以降、ノーコードアプリの数と開発者数は右肩上がりで増加し、2025年4月には実際の業務に組み込まれたアプリ数が4000本を突破する見込みだ。
「現場でツールが必要だと感じたら、まずIT部門に相談するのではなく、自分で作れないかどうかを考える。こうした考え方が根付いてきました。自分の手で課題をスピーディーに解決することこそ従業員体験価値の向上であり、私たちが最も注力するポイントです」(岩崎氏)
150チーム体制で推進する「スクラム」戦略
同社では、アジャイルの推進を目的に「Scrum@Scale」というフレームワークを採用している。アジャイル開発手法として広く知られる「スクラム」だが、岩崎氏は次のように説明する。
「これまでは階層型の組織構造の下、複数の承認ステップを経てプロジェクトを進めてきました。しかしそのやり方では、Web系企業のようなスピーディーな変革は実現できません。そこで最近、Web系企業で一般的となっている手法を積極的に取り入れています。現在、国内では150のScrumチームが稼働しており、階層型組織ではなく、個々のチームが主体となって動いています。さらに、複数のチームが連携して共通の目標に取り組む『Scrum@Scale』の形でスケールを図っています」
Scrumをスケールさせる仕組みとして、LAT(リーダーシップアクションチーム)とLMS(リーダーシップメタスクラム)という異なる役割のチームを編成した(上位の仕組みとして、執行レベルが関与するEAT《Executive Action Team》とEMS《Executive Meta Scrum》も運用)。
LATは、個々のチームで解決できない問題が生じた際に、ベテラン技術者チームが支援する仕組みだ。岩崎氏が中心役となっている。同氏は「リーダーシップを発揮できる人が入り、スピーディーに問題解決に当たることが重要です。部下に丸投げしていては解決が進みません。問題発生から解決まで2時間以内というスピードが求められます」と語る。
一方、LMSは組織の方向性と戦略、ROIに責任を持ち、顧客からの学びを会社のビジョンや戦略に反映させるチームだ。
「個々のScrumチームが主体ではあるが、LMSが事業としての方向性や優先順位を伝えることで、全体がビジネスと一体となって動くことが不可欠です。事業部門とITチームがワンチームとなってスクラム活動を推進し、事業と直結した成果を出す必要があります」(岩崎氏)
同社はこれを実現するため、階層型の組織運営から脱却するなど組織改編 も厭わない。これがDX推進の大きな原動力となっている。
Jiraが支えるLIXILのアジャイル推進と活動の透明性
同社におけるScrum推進を支えているのが、Atlassianのプロジェクト管理ツール「Jira」だ。バックログやカンバンボードを活用することで、アジャイルなプロジェクト運営を実現した。Jiraによってチームの全ての活動が可視化され、「活動の透明性」が確保されている。また、LATにおける問題解決のフロー(チケットの発行から解決まで)もJiraで管理されており、問題発生から解決までの流れを全てトレース可能にしている。これにより、知見の共有も容易だ。
Atlassian製品を導入したのは2017年のこと。当初はJiraの他、リポジトリ管理の「Bitbucket」、ナレッジ管理サービスの「Confluence」を開発領域で活用していた。現在ではIT部門やデジタル領域だけでなく、全社の活動を支える基盤となっている。
また現在、岩崎氏が取り組んでいるのが業務の自動化であり、その中核を担うのがITサービス管理ツール「Jira Service Management」(JSM)だ。問題管理と変更管理、資産管理に加え、ワークフローの自動化によって業務の手間削減を実現する。
「JSMをITサービスの窓口として世界中の従業員に展開しています。ユーザーからの問い合わせをメニュー化し、ボタンをクリックするとワークフローが動きます。例えばパスワードリセット依頼はどの国、どの時間帯でも自動化プロセスで対応可能です。申請や回答、解決ニーズも同様にグローバルで活用できるようにしています」(岩崎氏)
さらに同社はITサービスの自動化にとどまらず、Atlassianの製品群をエンタープライズスイートと捉え、間接部門の業務合理化にも活用を模索している。世界各国に分散する人事オンボーディングプロセスを一本化し、合理化する。ITだけでなくHR(人事)やファイナンスなど、間接業務の可視化と改善にJSMを活用するPoC(概念実証)も始めているとのことだ。
岩崎氏はチーム運営に当たって2つのコンセプトを掲げる。
一つは国籍を問わず共に働ける環境基盤を一つに統合する「One」。もう一つは「Automate Everything」(全ての業務を自動化する)だ。岩崎氏は「自動化の手法はRPAでも、生成AIでも構いません。最新の技術を組み合わせて業務プロセスを徹底的にシンプルかつ自動化することを目指しています」とコメントする。
長い歴史があるLIXILにとって、基盤の統一や業務プロセスの簡素化は並大抵の苦労ではないだろう。既存プロセスへのこだわりが強い企業もあるが、同社のように思い切った決断で成果を上げる企業も増えている。岩崎氏は、ツールの導入は目的ではなく、CXやEX向上のために適切なツール選びが重要だと語る。事業の将来を見据え、既存環境を迅速に見直すことが何より大切なのだろう。
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