塩野義製薬、生成AIの正答率を50→90%に 膨大な機密データをどう最適化した?
生成AIを社内実務に組み込みたくても、情報の機密性やデータ量の多さなどに導入が難しい業界もある。そのうちの一つ、製薬業界に属する塩野義製薬も、同様の課題を抱えていたが、ある手法によってそれを解決したという。同社はいかにして、AI導入を進めたのだろうか。
生成AIの活用が活発化する一方で、データや情報の機密性からAIを実務に組み込むことが難しい業界もある。その一つが、複雑かつ機密性の高い社内文書を取り扱い、各国が定める法規制への厳格な準拠が求められる製薬業界だ。
塩野義製薬では、そうした制約の多い環境下で、厳格なガバナンスと積極的な技術活用の両立に挑み、生成AIの社内活用を推進している。同社の西村亮平氏は講演で、複雑な社内データソースとAIを連携させた自律的な検索システムの構築や、リスク統制と最新AIモデル活用の両立など、“守りと攻めのAI活用”の成果が紹介された。
“守り”とはブレーキではない 重要なのは「前進を止めない」こと
企業システムにおいて“守り”という言葉は、ガバナンスやセキュリティ要件の順守などを想起させ、「守りの意識が強いが故に、なかなか攻めたことができない」といったイメージを抱かれがちだ。
しかし、西村氏は「日進月歩で進化する生成AIの領域において、守りとはブレーキをかけることではありません。いかに適切にコントロールするかという“ハンドルワーク”にこそ注力すべきです。厳格な規制が敷かれた製薬業界でも、このマインドが大切です」と語る。
西村氏が何よりも重きを置くのは、「前進を止めない」ことだ。あらゆることを慎重に評価し、時間をかけて技術的な検証を積み上げるようなノロノロ運転では、実装を終えた頃には技術そのものが陳腐化してしまう。「暴走は避けつつも、最適なスピードを維持して業界のトップランナーを狙いにいく」──それが塩野義製薬のAI活用に関する基本方針だという。
その方針に従い塩野義製薬が進めたAI活用の一つが、社内データにおける検索システムの最適化だ。新薬開発の現場には、過去の膨大な実験データや研究結果、法規制に準拠した仕様書など、極めて複雑かつ機密性の高い文書が蓄積されている。新たな研究計画を立案する際、これら過去の知見をいかに効率的に取り出し、現在の業務に生かせるかが競争力を左右する。
しかし、一般的なキーワード検索やシンプルなRAG(検索拡張生成)の仕組みでは、実用的な検索精度を得るのは難しい。西村氏は、「これまでに蓄積した知見を現在の業務に生かすために、膨大で複雑なデータ群に対して汎用(はんよう)的なRAG(AIに外部のデータベース情報を参照させ、回答を出力させる技術)を試しました。しかし、ユーザーの質問の意図をシステムが正確にくみ取れず、期待する回答が得られる率は50%程度にとどまりました」と語った。
塩野義製薬では、技術パートナーのクラスメソッドとの間に構築させた協業体制によって、AIエージェントを活用した社内検索システムを最適化させた。果てして、最適化のために、どのようなAI環境を構築したのだろうか。
最適化によって正答率50%→90%に 塩野義が導入した手法とは
塩野義製薬のAI活用を支援するクラスメソッドの丸毛篤史氏は、入力された質問でデータベースを検索し、抽出したテキストをそのまま言語モデルに渡して回答を生成する仕組みには限界があると考える。
現場のユーザーが求める「特定の薬剤の試験法を網羅的に調べる」「特定の日付以降の条件で絞り込む」といった複雑な要件に対しては、単純な類似度検索だけでは多くのノイズを拾い、ハルシネーションの発生を誘発してしまう。
そこで、クラスメソッドは既存のデータ構造とユーザーの検索意図を徹底的に分析した。文書を種別や用途別に分類して検索対象の構造を整理し、ユーザーの質問意図の分類や直前の文脈の保持、さらには情報が不足した際の再検索のプロセスをシステム内で多層的に管理する仕組みを設計。そして、AI自身が検索計画を立てて自律的に実行する「モジュラーRAG」(Modular RAG)の導入に踏み切った。
モジュラーRAGとは、検索に必要な機能を細かくモジュール化してAIに“道具”として持たせ、AI自身がどのように検索すべきか計画を立てて自律的に実行する仕組みだ。
塩野義製薬の要件に合わせて構築された検索システムでは、モジュラーRAGの処理が大きく4つのステップで実行される。ユーザーの質問意図を読み取る「質問分析」、どのツールをどのような順番で使うかを決める「検索計画」、計画に従って情報を並列で集める「検索実行」、そして収集した情報を統合して引用付きでまとめる「回答生成」だ。
これらのうち、正答率を高める上で大きな効果を発揮したのが、「検索実行」におけるAIエージェントの自律的なループ処理だ。
「検索計画を渡されたエージェントは、3つのツールを使って自律的に動作します。大量の文書を横断的に検索する『OpenSearchツール』、特定のファイルを深く読み込む『ファイル精読ツール』、現場の構造化データを処理するための『Excelツール』です」(丸毛氏)
塩野義製薬の現場には、過去の膨大な実験データや仕様書を人が検索および把握するために、担当者が長年メンテナンスしてきた「Microsoft Excel」で作成された管理台帳があった。クラスメソッドは、AIエージェントがこの台帳を読み込み、自らフィルタリングして必要なデータを直接絞り込めるようにした。
AIエージェントは、ユーザーの質問に対して、どのツールを使うかを自律的に判断して検索を実行する。また、得られた情報が回答を生成する上で十分かどうかを自ら評価し、情報が不足している場合には検索キーワードを変更したり、別のツールに切り替えたりして再検索する。AIの自律的な問題解決能力と、塩野義製薬の現場が培ってきたナレッジを結合したことが、検索精度の飛躍的な向上につながった。
AIが理解できる社内用語や業務フローの知識ベースを構築
この仕組みを機能させるためには、アルゴリズムを構築するだけでなく、AIがデータを正しく解釈するための前提知識をシステムに組み込む必要がある。
クラスメソッドは現場へヒアリングし、塩野義製薬に特有の専門用語や略語をAI用の辞書として整備した。加えて、「特定の業務がどのような順序や前後関係で進むのか」といった業務フローを学習させた。この業務知識ベースが全ステップで横断的に参照されることで、AIは塩野義製薬の従業員と同じ観点で情報を探索できるようになる。
特定業務向けのアプリケーション開発だけでなく、全社基盤としての生成AI環境の整備においても、「守りながら攻める」アプローチは貫かれている。
より高度な推論能力を持つ最新のAIモデルを社内に導入しようとした際、塩野義製薬はデータ保護に関する大きな課題に直面した。最新モデルのAIを利用する際には、データを海外のリージョンで処理する「クロスリージョン推論」が必要になるケースが多い。しかし、製薬業界ではグローバル規模で厳格なデータ保護規制が敷かれているため、データの越境を伴う処理を無条件に許容することはできなかった。
同社はこの課題に対して、製薬業界の制約を加味したクロスリージョン利用スキームの策定と、AIの利用状況を可視化し、統制するためのモニタリング基盤の構築を進めた。
まずスキーム策定では、基盤となる「Amazon Web Services」(AWS)の技術仕様と潜在的なリスクを徹底的に洗い出した。システム上の制約事項を明確にした上で、許容可能なリスクの閾値を設定し、安全な通信経路の確保や監査ログの取得などを整備することで、最新モデルを安全に利用できる新たなルールを策定した。
そして、このスキームを確実に運用するために、全社的な生成AIの利用状況を管理するモニタリング基盤の開発に着手した。クラスメソッドからAIに長けたエンジニアがアサインされ、両社で実務対応と検証を進めた結果、わずか1カ月で基盤の構築を完了させたという。
リスクを理由に前進を止めず、「いかに取り込むか」を徹底して探る
規制の厳しい業界において、高度なAI活用と厳格なガバナンスを両立させるのは容易ではない。約1年半にわたる両社の機動的な協業体制は、リスクを理由に導入を見送るのではなく、「いかにコントロールしてビジネスに取り込むか」のベストプラクティスを生み出し続けている。
西村氏は、「ビジネスに最新技術を取り入れる際、保守的になりすぎるべきではありません。『どのような条件を満たせば使えるか』を徹底して検証し、新たなスキームを作り出せばよいのです。AWSを最適に活用できるパートナーの支援により、内製に近いアジリティで推進できる今の体制は、ユーザー企業にとって理想的な協業モデルではないかと考えています」と語った。
本稿は、2026年6月25〜26日に開催された「AWS Summit Japan」内で、塩野義製薬の西村亮平氏と、クラスメソッドの丸毛篤史氏が登壇したセッション「守りながら攻める −塩野義製薬流 AI 活用とガバナンスの両立術」における解説内容を基に、編集部で再構成した。
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