羽田空港が提案“1億通り”の過ごし方 日本空港ビルデングの新戦略とは:One to Oneマーケが目指すもの
日本のハブ空港である羽田空港で、日本空港ビルデングは新たなマーケティング施策に取り組む。顧客一人一人に合わせた1億通りのおもてなしを実現する、その戦略とは?
「羽田空港の利用者は、年間8700万人の旅客者だけではない。空港の施設で働く従業員や空港に関わる事業の取引先、お見送りやお出迎えをする人、展望デッキの見学者、飲食や買い物をする人、航空ファンなど多くの人がいる。多様なお客さまのニーズに合った価値を提供することが重要だ」――。そう語るのは、日本空港ビルデングの堀 史晴氏だ。
同社のホームグラウンドである羽田空港は、国内48路線、1日約500の出発便が飛び立つ日本最大の空港だ。また国際線も53都市に58路線を持ち、1日約168便の出発便を運航する。利用者も非常に多く、国内線、国際線合わせて年間の旅客数は8532万人に達している。これは国内1位、世界でも5位の規模を誇る。羽田空港は空港としての国際的な評価も高く、日本のハブ空港として重要な役割を担う。
この数字は、もちろん新型コロナウイルス感染症(COVID-19)前のもの(2019年)だ。直近はコロナによって利用者が激減しているが、「コロナ禍の2年で、機内や空港内において感染がまん延したことはない。航空機を使った旅行も、徐々に再開してほしいと思っている」と堀氏は語る。
日本空港ビルデングは1953年創業の歴史ある企業だ。戦後、東京飛行場(当時)が米国から返還された際に、日本政府の財政難から民間資本による空港ターミナル建設を担う企業として誕生した。1955年から空港ターミナルビルの共用を開始している。
日本空港ビルデングは、時代の変化に対応して顧客満足度の向上と収益向上を目指しマーケティング専門部署を2020年7月に設立した。設けられたのは2020年7月で、発足から約2年だ。同社が目指す姿を実現するには、従来のマスマーケティングでは明らかに効果が不足していた。そこで同社は“新たな戦略”に目を付けた。
空港利用者一人一人へ“1億通り”の情報を発信する戦略とは?
老舗企業である同社が新たに取り組む4段階のマーケティングロードマップと、同社が2021年3月にリリースした顧客ニーズに対応するためのツール「羽田空港公式アプリ」による“1億通りのおもてなし”とは、一体どのようなものなのだろうか。
日本空港ビルデングが目を付けた手法は顧客一人一人に合わせたマーケティングを展開する「one to oneマーケティング」だ。
デジタル事業推進の事業企画とIT業務に加えマーケティング、リテール営業と4つの部門を兼任する堀氏は、「これからのマーケティングはマスからone to oneへ変わっていく」と語る。広くて浅いマスマーケティングから、個人個人に向けて深くてきめ細かな情報発信を目指す。例えば、旅の前から潜在ニーズの引き出し、旅の途中では楽しめる情報や待ち時間を快適に過ごす情報を提供し、旅の後には顧客へのアプローチして接点強化を図るというものだ。
多様な利用者像の仮説を立て、それぞれのセグメントの顧客に対して追跡調査やWebアンケート、インタビューを実施したところ、いろいろな顧客の姿が見えてきたと堀氏は語る。「Z世代から高齢者、ビジネス利用者、乗り遅れそうで焦っている利用者や逆に時間を持て余している利用者まで、空港にはいろいろな人がいる」(堀氏)。
本稿はワークスアプリケーションズが5月に開催したオンラインイベント「Works Way 2022」における、日本空港ビルデングの堀 史晴氏による講演「羽田空港におけるone to one マーケティングの取り組み事例〜データ活用による顧客体験の向上&DXの促進〜」を基に編集部で再構成した。
4段階のマーケティング活動ロードマップを策定
堀氏は、「one to oneマーケティングを実現するためには、順序立てた取り組みが必要だ」として、4段階からなる同社のマーケティング活動のロードマップを示した。
ロードマップの1つ目は、「顧客を知ること」だ。顧客追跡調査や顧客セグメントの設計、アンケート、インタビューなどで、従来考えていた顧客像に思い込みがないか確認し、本当の声、行動への理解が必要だという。
2つ目が、「他部門との連携」だ。同社はグループ企業19社を抱え、事業の中でさまざまな顧客接点を持つ。そのためマーケティング活動は、個別の接点だけを強化しても無意味で、全社横断でつながっていくことが不可欠という。
グループ全体で顧客を知るために、「タッチポイントを設計」する。これが3つ目だ。同社の事業は物販、ネットが混在しており、顧客接点はリアル、バーチャルの間を行き交う。チャネルをまたいだ顧客との関係性構築を目的にした設計が必要である。
最後の4つ目が、「マーケティングの業務フロー確立」である。顧客データを収集し、セグメント分析した結果をグループの各企業に展開し、施策を実施。その結果を再び収集して改善を重ねていく。こうした循環で全社のマーケティング活動をブラッシュアップするという。
1億通りの情報を発信できるアプリを目指し開発
そして開発されたのが「羽田空港公式アプリ」だ。このアプリは、フライト情報や店舗の検索、施設内で利用できるクーポン発行など、多くの人が便利に使える機能を備える。
これをダウンロードしてもらうことで、利用者の属性とニーズの把握が進んだ。アプリ利用者の男女比はおよそ6対4、年齢層は25〜34歳の利用が最も多く、男性のみでは45〜54歳が最も多く、利用者の年齢は女性の方が若い。
2022年度は、このアプリを使って顧客それぞれのニーズに対応するone to oneの機能を追加していく計画だ。パーソナライズの中心となるのは、会員向けサービス機能である。
例えば登録したフライト情報に基づいて、ゲートまでのルートや最も近い保安検査場を案内し、出発の時間が近づくとプッシュ通知を送る。また、飲食店やラウンジの優先予約をできるようにする。さらに、施設の混雑状況の提供、それを踏まえた搭乗までの時間を有意義に過ごすためのサービス利用を提案する。各種機能を段階的にアプリに組み込んでいく予定だ。
「同じお客さまが羽田空港を利用する場合でも、ビジネスの出張の時と、家族旅行の時では行動が違ってくる。誰のどんな状況にも対応する、1億通りの情報が発信できるアプリを目指している」(堀氏)
空港利用者は自身の搭乗時間まで、多少の不安を感じながら過ごすことが多い。このアプリからone to oneメッセージを送ることで、そうした不安を払拭するのが狙いである。
「プッシュ通知で、搭乗まで十分な時間があることを伝え、その間にカフェで使える新作ケーキの割引クーポンを送ることで、お客さまに安心して店舗での時間を過ごしてもらえる」(堀氏)。結果として顧客満足度が向上し収益も拡大するというのが同社の見立てだ。
これを、空港の中のカスタマージャーニーに当てはめてマーケティング施策を実施していく。堀氏はジャーニーの一例を説明した。
「海外旅行が決まったお客さまが、フライト情報を羽田空港のアプリに登録すると、プッシュ通知で『当日は混雑が予想されるため、駐車場と現地で使うモバイルは事前予約をおすすめします』といったメッセージが送られる。旅行当日に羽田空港に着くと、駐車場とWi-Fiの受け取り場所を案内するプッシュ通知が送られる。アプリがおもてなしのツールになる。羽田空港には3つのターミナルがある。フライト情報をアプリに登録することで、お客さまが万一、搭乗便と違うターミナルにいて迷っている場合は、位置情報によって場所を把握し、ターミナル違いのメッセージを送ることができる」(堀氏)
その後もアプリを中心に、空港内のサイネージや店舗サービスと連動した情報提供を続けることで、出発から帰国までの間、優れた顧客体験を提供する。
マーケティングで得た顧客データを基幹システムと統合
同社では、空港までのアクセス、ターミナルビルの商業施設、そして空港のサービスにおける接点を一つのプラットフォームに集める取り組みを進めている。
同社グループでは、基幹システムとして主に「HUE Classicシリーズ」を数多く採用しており、店舗ごとの商品の販売や在庫状況などをリアルタイムに管理している。今後はこの基幹システムのデータと、アプリを通じて得た顧客の行動データを統合管理することで、one to oneマーケティングの情報精度をさらに向上できると考えている。
「過去2年は難しかった飛行機による旅行や出張が、2022年はようやく再開できるというお客さまが多い。そうした方へ、最高のおもてなしができるように、さまざまな新しいことに挑戦していきたい」と、堀氏は最後に語った。
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