想像以上に歴史を変えてきたMRP “3人の始祖”から振り返る(3/3 ページ)
ERPの祖先的存在でもあるMRPには半世紀以上の歴史があり、製造業の在り方を長年にわたり大きく変えてきた。本稿ではMRPの始祖とされる3人から歴史を振り返り、そのメリットデメリットを見直していく。
MRPの歴史
MRPの種がまかれたのは、製造を最適化する新しいモデルが発展した20世紀初頭だ。1913年、フォード・ホイットマン・ハリスという米国の生産エンジニアが、商品の発注と保管のコストが最小になる経済的発注量(EOQ)を開発した。同時期、ヘンリー・フォードが開発した大量生産システムが、組み立てラインの全体にわたって資材の流れを厳格に制御することの価値を示した。また、フレデリック・テイラーによる科学的管理の理論も、生産の計画と管理や、資材の取り扱い効率の向上の手法により、産業効率の大きな上昇要因になった。
コンピュータの登場で、製造プロセスの最適化システムは新時代に突入する。メインフレームコンピュータが市販された1950年代、製造業者でプログラマーがBOMや在庫、生産、スケジュールを管理する独自ソフトウェアを開発するようになった。
しかし、この分野に今の名が与えられたのは1960年代になってからだ。数名の有力なエンジニアが、資材所要量計画(MRP)という名のシステムを提唱した。1964年、IBMのエンジニア、ジョセフ・オリッキーがリーン生産方式のモデルである「トヨタ生産方式」を研究してMRPを定式化した。1967年にはIBMでオリッキーの同僚だったオリバー・ワイトが、機械技術者で経営コンサルタントのジョージ・プロスルと生産在庫管理に関する共著を発表した。3人はその後も協力を続けており、MRPの開拓者というと通常この3人が挙げられる。
ここで注意が必要なのは、MRPとリーン生産方式は、オリッキーの先駆的な仕事においてつながりがあったものの同じものではないという点だ。MRPがリーン生産方式に役立つとの声はあるが、むしろ両者を対照的なものと考える実務家も多い。MRPが「プッシュ型」の生産計画システム(必要な在庫を事前に判断して、その予測ニーズを満たすように生産するもの)だと考えられているのに対し、リーン生産方式は「プル型」のシステムであり、予測ではなく実際の需要が確認できるまで生産も購買もしない。
1975年にオリッキーの書籍「資材所要量管理:生産在庫管理の新様式」が出版されると、同氏の考え方は製造部門の隅々まで急速に広まった。1980年代の初頭には、販売用と自社開発のものを合わせると何百種類ものMRPが存在した。
1970年代には、全米生産・在庫管理協会(APICS)による教育の取り組みもMRPを大きく後押しした。オリッキーとプロスル、ワイトがAPICSにMRPの普及促進を求めたのだ。MRPの教育と認定の最大のソースとなったAPICSは、その後の数十年間で業務管理やサプライチェーン管理へも拡大し、今なおMRPの拠点の役割を担っている。
オリッキーは1986年に死去した。同氏の著書の第2版は、プロスルの改訂により1994年に『オリッキーの資材所要量管理 第2版』として出版された。コンサルタントのキャロル・プタクとチャド・スミスによる改訂で2011年に出版された第3版では、MRPの特徴である販売予測ではなく、実際の販売注文を用いる「需要主導型」の計画プロセスで資材所要量を計算するのにMRPを活用する方法が加えられている。この新たな「プル型」のアプローチ、いわゆる需要主導型資材所要量計画(DDMRP)には、オリッキーが確立した重要原則に違反しているとの見方があるなど議論を呼んでいる。
MRPとERP
ワイトが1981年にMRPを拡張した「製造資源計画(MRP II)」では、計画プロセスが財務など社内の他のリソースにも拡大され、製品設計やキャパシティー計画、コスト管理、作業現場管理、販売業務計画など多方面のプロセスが加わった。
MRPを他のビジネス機能へと拡張したMRP IIが、ERPと名前を変えた。
1990年、調査会社のGartnerがMRP IIをさらに拡張して一般化したものを指す「企業資源計画(ERP)」という言葉を生み出す。会計や人事、サプライチェーン管理など、ビジネスのその他の主要機能を考慮して、その全てを集中データベースで管理するというものだ。MRPとMRP IIはどちらもERPの直接の祖先だと考えられている。
ERPはMRPコンポーネントが必要なかったサービスや銀行、小売などの他業界にすぐに広まった。一方で、製造業者向けのERPでは、今でもMRPが重要な役割を担っている。
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