「ベテラン社員にチャットは無理」の偏見を変えた石井食品のコミュニケーション改革秘話
ミートボールで知られる石井食品の石井智康社長は2017年に入社し、主なコミュニケーション手段はガラケーとFAXという業務現場にショックを受けた。ITツールに不慣れなベテラン従業員もいる中で、あえてチャットツールで現場を変えようと決めた。
創業75年の老舗企業、石井食品の若きリーダーの石井智康氏(代表取締役社長執行役員)は2017年入社以来、同社ITとコミュニケーション基盤の整備に取り組んできた。電話やFAX、メールによる旧来型のコミュニケーションを改善する切り札としたのが「Slack」だ。ITに不慣れな従業員に理解を求め、社内にチャット文化を根付かせようとした同社の奮闘を紹介する。
本稿は、「Why Slack? 非対面でのエンゲージメント・オンボーディング」(主催:Slack Japan)における石井食品の石井智康氏による講演「世代と時間と距離の壁をSlackで壊す」を基に、編集部で再構成した。
メールアドレスすら持っていない、がくぜんとした情報環境
石井食品は1946年に創業し、ミートボールなどの身近な食品メーカーとして知られる。全国に3つの工場と5箇所に営業所を持ち、パート従業員を含めると従業員数は約580人(2021年3月現在)、工場の高卒採用者は18歳、定年後の再雇用対象者は60歳代と、幅広い年齢層の従業員が働いている。
石井氏が入社した当時は、社内は携帯電話(ガラケー)とFAXが主なコミュニケーション手段で、メールシステムは工場内の自社サーバで運用し、自社Webドメインの管理やWebサイトの構築に関しても現在の一般的な手法とは懸け離れていたという。アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズをはじめ、ベンチャー企業やフリーランスとして大規模システムやWebサービス開発などの仕事に携わってきた石井氏にとっては、がくぜんとするような情報環境だったようだ。
「IT系以外の中堅企業ではままあることだが、PCとメールアドレスを持っていない従業員がいたことがカルチャーショックだった。製造業ではよく聞く話だが、特に工場ではラインでの製造作業がメインとなるため、中にはPCを使う頻度が少ない従業員もいる。こうした環境の中、コミュニケーション課題は山積で、意思疎通の食い違いが社内の至るところで生じ、チームの足並みが揃わない状況が見えてきた」(石井氏)
ITに不慣れな従業員もいた中で、なぜSlackは定着したのか
入社後に石井氏がまず始めたのが、Slack無料プランの利用だ。無料プランなら社内稟議(りんぎ)を通すのもそう難しくはなかった。セキュリティポリシーは検討が必要かもしれないが、ブラウザでも利用可能なので、手っ取り早く始めることができると考えた。
まずは石井氏の所属するチームからSlackを使い始めたところ、レストランチームやマーケティングチームなどの他のチームも次第にSlackを使いだし、3カ月後にはプロジェクト化して全社展開を開始した。一度に多くのチームやプロジェクトを巻き込むのではなく、小さく始めて徐々に仲間を増やしていく手法で展開を進めていった。
この手法はうまく受け入れられたようだが、当然ながら新しいコミュニケーション手法に戸惑いを示す従業員もいた。
「すんなりとSlackを受け入れられる人とそうでない人がいる。チャットの良さやツールの利点を言葉で説明しても、聞くつもりのない人には伝わらない。そうした従業員に『メールと何が違うのか』と聞かれても、言葉で説明するのは大変だった。それよりも、色んな人を巻き込んで、まずはSlackチャンネルを作り、メンションの仕方やファイルのアップロードの仕方などを教えながら体験してもらう方が早い」(石井氏)
社内には「取りあえず1週間使ってみましょう」というスタンスで開始した。すると使い方に慣れた人たちはSlackで情報を交換し、次第にSlackに情報が集まるようになり、その情報を求めて嫌でもSlackを使ってみようとする人が増えていった。またSlackの良さを認めた人たちは、他の人たちをチャンネルに招くことで、チャットの利用が全社的に広まっていった。2017年の導入当時の利用者は極めて少なかったが、いったん増え始めると大きく伸び始めたという(図1)。
新しいコミュニケーション手法に抵抗を感じる人については、「ついて来られない人はいったん放っておくのも一つの手。キャズム理論でいう『ラガード』(懐疑派。意地でもついてこない人)を説得するよりも、良さを理解した人が増えていく方が望ましい」と考えている。
また、社内利用を促進させた要因として「遊べる要素」も挙げる。特別なルールを作らずにいろいろな絵文字を作って利用する「スタンプ300個つくろうキャンペーン」を始め、石井氏自身の顔の絵文字を含め、従業員による自作絵文字数は588個にも上るという。
さらに、Slackだけでは完結しないチームミーティングでは、ホワイトボードや「Google Workspace」を使ってカンバン方式にタスクを可視化し、KPT(Keep、Problem、Try)手法による振り返りにおいても「Zoom」などのツールを取り入れながらデジタル化、オンライン化を進めているところだ。
孫の写真が大きな反響、次第に世代や部署を超えた交流が活性化
当初、社内では「60代のベテラン従業員にチャットやオンライン会議は無理」「工場従業員がPCを使うのは無理」という声も聞かれた。そのような状況を変えたきっかけは、COVID-19により、大人数が社内に集まりにくくなったことだった。2020年7月に、同社はZoomのブレークアウトルーム機能を活用し、「全社朝会」をスタートさせた。
3工場でテレビ会議システムをつないだ月1回の遠隔ミーティングを行い、それに加えて毎週15分の雑談タイムを設けることにした。業務時間内に、意識的に雑談する時間を割いた。これにより、ベテランメンバーも続々とZoomミーティングに参加するようになっていったという。
「最初は苦労しても、次第に参加、発言もしてくれるようになった。ベテラン社員には難しいというのは偏見で、ただの慣れの問題だった」(石井氏)
また、60代半ばのベテランメンバーが孫の写真付きで商品に関連したSlackに投稿をすると非常に大きな反響を呼び、ますますSlackの利用が増えていったという。このように人の生活に密着した喜びや知識を共有できるところも、メールではなくチャットの魅力なのだろう。
また、事業場や部署の違いによるコミュニケーション不足も解消しつつある。「工場では、朝・昼・夜の3シフトで、シフトが違う人はほとんど会うことがなかった。また工場の作業中はPC操作ができないのも課題だった。これに対しては、就業前後にSlackの共通チャネルで個別連絡などのコミュニケーションを取れるようにした。すると、シフトの壁を超えてさまざまなディスカッションが工場内で生まれるようになった」(石井氏)
さらに社内でのナレッジ共有や教育コンテンツの共有にも効果的なことが分かってきた。ある工場の特定工程を撮影した動画を投稿したことで、工場内で議論やアドバイスをし合える環境が生まれ、チームの壁を超えてマネジャー同士の交流が生まれたという。動画などはその後も教育コンテンツとして利用できる。
導入して気付いた、ITツール利用促進に関する3つのポイント
石井氏は「以前は何か問題が起きて商品の詳細や新商品の進捗(しんちょく)が分からくなった場合、どこの誰に聞けばよいのかが分かることが重要だった。何かあったら電話をかけまくっていたのだが、Slackで受注部門と営業所をつなぎ、写真付きでやりとりしながら議論や質問、回答などが行われるようになった。チャンネルに質問を投稿すれば、誰かが必ず拾ってくれる。一度回答された質問は、検索するとリスト化されて出てくる」と導入後の社内変化を説明した。
最後に、石井氏はSlackに限らずITツールの導入や展開に当たって、アドバイスとして3つのポイントを挙げた。
1.傾聴から始める
新しいツールの良さを説くのは抵抗を招きかねない。まずはチームの課題、特に「コミュニケーションについて困っていることは何か」「うまくいっていることは何か」を聞くと課題が見えてくる。
2.課題に対していろいろな解決方法を、小さいところから取り組む
課題に対してITツールで解決できる可能性が見えてきたら、小さなところから取り組む。チャットでなくてもスプレッドシートやZoomなどでも良いし、もっとアナログなやり方で解決できることもある。
3.大義名分は超重要
同社の場合はトレーサビリティーシステムや履歴管理、インシデント対応などの目的で、オープンな情報管理を社内方針としていた。これはオープンなコミュニケーションをツール思想上重視するSlackには好適だった。情報はできるだけオープンに取り扱い、関係者との信頼を構築する方針(OPEN ISHII)が、Slackを使う大義名分となった
新しいツールの導入には従業員が納得、共感できる方針があってこそ。慣れないツールの導入で最初は不協和音が生じるかもしれないが、そうした場合は強制するのではなく、まずは従業員にどうすれば興味を持ってもられるかというところから考えるといいのだろう。
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