TBSは「Gemini」をどう現場に組み込んだ? AIを「社員に配るだけ」で終わらせない仕掛け
生成AIは、現場で使われてこそ意味を持つ。コストや時間、人手の課題を抱えていたTBSでは、現場主義を重要視することでその活用を推進させたという。同社の内製プラットフォームが系列局まで広がった、普及の舞台裏が語られた。
生成AIの導入は、ツールを配るだけでは進まない。とりわけ映像制作のように、品質の判断が職人的な感覚に支えられてきた領域では、現場の抵抗感を取り除き、当事者意識を持ってもらえるかどうかが問われる。
TBSテレビは自社開発のAI音声プラットフォームを2025年に本リリースし、1年間で800人以上が500時間分を超える音声を生成するまでに広げた。音声にまつわる業務だけでも、20人月ほどの削減効果があるという。
この普及を支えたのは、現場視点を重視し、系列局を巻き込んだ推進方法にあったという。その過程を、TBSテレビの大西陽一氏(メディアテクノロジー局 ステーション統括部)が明かした。
アナウンサーがいるのに、なぜAI音声が必要なのか
放送局には多数のアナウンサーがいるのに、なぜAI音声が必要なのか。AI音声が求められる背景には、制作現場が日々直面する具体的な事情がある。
大西氏は現場が直面する悩みを、コストと時間、外国語の3つに整理した。編集の過程で当てる「仮ナレ」を作る手間や、深夜のニュースを数分読むためだけにアナウンサーが出勤する体制、そして、日本語以外のナレーションを必要とするグローバル展開といったものが当てはまる。
外国語を読めるナレーターは確保しにくく、深夜の緊急時には原稿を読める人がいないこともある。「YouTube」の動画にナレーションを付けたくても、外注すればコストが立ちはだかる。制作者の課題は、番組の表側だけでなく制作過程の全域に及んでいた。
そこでTBSテレビが開発したのが、AI音声プラットフォーム「音六(おとろく)AI」だ。非IT人材でも扱えることを重視し、同社が中心となってJNN系列とともに開発を進めてきた。基盤には「Google Gemini」や「Text-to-Speech」を全面的に採用している。技術面では、音声制御の記述言語であるSSML(音声合成マークアップ言語)を土台に据えた。その上に、音声の尺やアクセントの制御、文脈を踏まえた翻訳を実装している。
音六AIの実演では、原稿を読み込む前に複数の声色をパレットのように並べ、ワンクリックで音声を生成する流れが示された。ブロックごとに話し手を変えれば掛け合いも作れる。さらに「○秒」と尺(再生時間)を指定すると、その長さに収まる音声が生成される。大西氏は「尺に合わせたナレーションの調整は、従来のAIではなかなかできませんでした。当社が内製で開発し、特許も取得した技術です」と語る。
アクセントは1文字単位で修正できる。音声モデルの精度が上がり、固有名詞やスポンサー名をそのまま読ませられるケースも増えたが、細かい単位での制御は制作側のニーズとして重要度が高かった。
多言語化も同様の操作で完結する。日本語の原稿を投入すると、文章全体の文脈とスタイルを解釈した上で翻訳し、音声を生成する仕組みだ。単純な機械翻訳ではなく、報道からドラマまで文書の性質に応じて訳し分けることができる。国内で放送済みの番組の音声トラックを差し替え、海外向けに配信する取り組みも進んでいる。
1年間で500時間分の効果 フィードバックと基幹連携で現場に定着
AI音声に関するプロジェクトは2023年末から開始した。尺を制御するコア技術とβ版の開発に着手した後、2024年にはβ版をプレリリースしており、この段階で、TBSテレビだけでなくJNN系列の全局に展開している。狙いは、2025年の本リリースに向けて現場の声を集め、フィードバックを吸い上げることにあったという。
ここで築いたフィードバックのループは、本リリース後も開発チームのPDCAを支えた。寄せられた意見をもとに新機能を開発し、アジャイル的に改善する体制ができた。
さらに、現場での定着を後押ししたのが、基幹システムとの連携だ。原稿の作成などを担う報道支援システムに、音六AIを呼び出すボタンを配置し、書いていた原稿をそのまま音声化できるようにした。AIツール単体で使わせるのではなく、日常の業務動線に組み込むことにより、現場がストレスなくAI音声に触れられる状態を作った。
音六AIにより制作フローそのものも変わった。従来は原稿を作り、ナレーションを録り、編集するという分業が一般的だった。導入後は、原稿から音声を生成し、編集工程に取り込むまでを一連の流れで進められるようになった。尺を自在にコントロールできるため、タイムコードに即した音声、つまり編集を見越した音声生成が可能になっている。
効果は数字にも表れた。本リリース後の1年間で、800人以上のユニークユーザーが500時間以上の音声を生成した。大西氏によれば、音声に関わる業務に限っても20人月規模の削減につながったという。
報道・ドラマ・スポーツ 異なる要求に1つの基盤で対応できた理由
また、多くのジャンルの番組を放送するために発生していた課題もある。放送局に求められる音声の特性は一様ではない。報道からドラマ、スポーツ、バラエティーまで同じ局内で作られているが、重視される軸は各部署で大きく異なる。報道であれば、表現力以上に正確さが求められる。一方でドラマであれば、正確さ以上に表現力が重視される。多様なニーズを1つのプラットフォームでどう受け止めるかが、現場推進の面でも重要な論点となった。
その答えとして、同社は音声モデルの得手不得手をアルゴリズムまでさかのぼって整理した。
RNNなどの従来型モデルは読みが一本調子になる一方でクリアになり、システムからの制御性が高く軽量でもある。これは、報道向きの特性だ。
対してGeminiなどのTransformerを基盤としたモデルは、表現力が豊かで、文全体を考慮して音声を生成できる。少ない学習データで済む“Few-shot Learning”への対応力も高く、ボイスクローンが現実的になる。ドラマでの活用余地が大きいのはこちらだという。
その他、芸能情報などを発信する1部門では、コストを理由にナレーターを付けられなかったYouTubeチャンネルにナレーションを導入した。ナレーターに発注した場合と比べれば、概算で1000万円以上の差になると大西氏は説明した。
用途は番組の表側にも広がっている。夕方のニュース番組「Nスタ」では、ストレートニュースの映像にAI音声によるナレーションを付けている。ドラマにおいても、日曜劇場「VIVANT」や、火曜ドラマ「君の好きは無敵」「時すでにおスシ!?」で、演出に音六AIが用いられた。
大西氏は「ドラマの演出でAI音声が使われる、ましてや自分が開発したプロダクトがここで使われるとは思ってもいませんでした」と振り返る。
制作過程での利用も進む。仮ナレやスタジオ出しのVTRに加え、番組とCMの間に流れるスポンサー提供読みの一部も置き換えた。提供読みはアナウンサーの確保が難しい上に、コンマ数秒の精度で10秒ぴったりに読み切る技量が要る。尺を制御できる強みが効く領域だ。
声の学習を生かした事例もある。あるドラマでは、演者の声色のまま流ちょうな外国語を話させたいという要望に対し、短時間の学習データから、多言語音声を生成した。長時間の拘束が難しい演者の時間を消費しない効果もあった。生成した音声を演者の口の動きに合わせ、音を整えて本編映像に重ねる流れでオンエアしている。
こうした技術がドラマで選ばれた理由を、大西氏はFew-shot Learningとクロスリンガル技術に求める。学習データは10秒程度の文章が2文あれば足り、ある言語で学習した声が別の言語を話せる。低コストかつ少量のデータでニーズを満たせる点が、制作現場とかみ合った。
DX先進事例はむしろ地方が起点に 人手不足だからこそ生まれるアイデア
さらに、JNN系列では、AI音声を軸にしたDXが各地で進んでいる。旅番組における「天の声」と呼ばれるナレーションや、局が自ら制作するCMの音声、外国語の吹き替え、さらにはAIのみで構成したラジオ番組まで例がある。「先進的な取り組みは、むしろ東京ではなく地方から波及してきています」と大西氏は語る。
BSS山陰放送では、人手が限られる年末年始の番組制作に生かした。ラジオでは音楽を紹介する番組が多く、パーソナリティーをAIで務められないかというニーズが以前からあったという。技術部門の出身ではない制作スタッフが12月初旬から音六AIを使って準備し、年末年始の4日間で4回のオンエアを実現した。
テレビユー福島では、自局制作のCMの差し替えに活用している。自局制作のCMは、営業担当がスポンサーや広告代理店とぎりぎりまで調整を続けることが多く、差し替えにどう対応するかが課題だった。従来は技術スタッフと音の仕上げを担うMA(Multi Audio)担当スタッフ、そしてアナウンサーの3者を押さえ、深夜に作業する体制が常態化していた。音六AIがあれば1人三役をこなせるため、リードタイムを削りながら営業の要望に応えられる。
開発の原点は現場にあり 当事者を巻き込むことが重要
音六AIの開発の原点は現場にあったという。大西氏は開発の初期、平日の昼間はIT部門で働き、夜になると制作部門に入ってAD業務に加わり、現場の声を聞いて回った。
現場視点で開発を進めるとともに、PoCの段階からJNN系列を巻き込み、当事者意識を持ってもらったことで、結果として非IT人材にも使いやすいものへと育った。AI音声というテーマでコミュニティーを作り、意見交換ができる体制も整えた。リリース直後から多数の事例が挙がってきた背景には、プロダクトの出来だけでなく推進の設計があったと大西氏は総括する。
「AI音声という選択肢が当たり前にある環境を目指して、これからもプラットフォームの発展と普及を進めていきます。自社だけで使うのではなく、放送技術を民主化して、さまざまな業界の方に使っていただきたいと考えています」
本稿は、2026年7月30~31日に開催された「Google Cloud Next Tokyo」(主催:グーグル・クラウド・ジャパン)の講演「ニュースからドラマまで: TBSがGeminiと作る、表現の限界を超えたAI音声制作の裏側」における解説内容を基に、編集部で再構成した。
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