「あちらを立てればこちらが立たぬ」というジレンマは仕事でも生活でもよくあることだ。お互いが自分の目的に最適だと思う行動計画が相反するとき、どう折り合いをつければよいのか。そんな古くからの悩みを解決し、みんなが得する最適行動へと導いてくれる「自動交渉AI」が実現しそうだ。
AIによる自動判断や自動制御技術は特定領域で実用レベルに達し、今後は「スマートシステム」と呼ばれるAI利用システムが続々と社会実装されていくに違いない。世の中がますます便利になる未来が想像できるが、課題がないわけではない。実際に懸念されているのが、スマートシステム同士における挙動のバッティングだ。
スマートシステムの一例として自動運転車がある。自動運転車が高速道路の合流ポイントの近くを走っているとき、センサーが合流しようとしている別の車を発見したとしよう。合流車が減速して後ろに入ろうとするのか、スピードを上げて前に入ろうとするのかが分からない場合に、安全のためにブレーキをかけて減速するのが一般的には正しい制御になる。しかし合流しようとする側の自動運転車も同じように減速すると、結果としてスムーズな合流ができない。
この時、もし車同士がお互いの速度や加速状態を共有し、「こちらは最小限の加速をするから、そちらが最小限の減速をしてくれれば、お互いにエネルギーや時間を無駄にせずに安全に合流できる」ともちかけ、相手側の車が同意すれば、双方が適切な加速減速制御を行い、エネルギーや時間のロスをトータルで最小限にしてスムーズな合流ができるはずだ。
このように、複数のスマートシステムの挙動が相互に関連し、時に依存しあう場面は、交通だけでなく、水道、電気、ガス、通信などさまざまなインフラ領域、あるいは複数企業の受発注・生産・物流をはじめとするビジネス領域でも急速に増えるだろう。
そこで、スマートシステムに搭載されたAIが相互に連携し、目的に沿って、時間やエネルギーなどのリソースを有効に活用しつつ、コストを抑えながら全体の利益を最大化するような最適解を「自動交渉」によって導き、自動制御や人間の意思決定に結び付ける技術開発が注目されている。それが「自動交渉AI」だ。
NECデータサイエンス研究所の森永 聡氏は、「高度な自動制御が実現すれば、従来は必要以上にとっていた安全マージンを最小にできる」と説明し、同社のAIを応用した自動制御の事例として水道施設のスマート化を挙げた。
「需要に合わせて水質劣化のない水を供給するには、地域や時間帯、季節別の需要動向をはじめ、気象やイベント、水道網の老朽化状態を加味した供給力の現状など、多要素にわたるビッグデータを分析したうえで、取水から浄化、配水、給水までの一連の水供給プロセスを適切に制御する必要がある。また都市部などの水需要の増加や、施設・水道網保守費の増加に対応しつつ水道料金を維持するには、電力コストを最小にする工夫もいる」(森永氏)
こうした多要素を勘案して水道施設や機器の運転計画を立てる役割は、従来は熟練技術者に任されていた。しかし将来の人材不足が心配されることから、NECデータサイエンス研究所は熟練技術者による予測と制御のノウハウを、各種ソースからの異種混合学習を通してAIに取り込んだ。
「予測される水需要量を満たし、パイブを傷める可能性がある高圧配水を避けながら、突発的に生じる緊急の需要増にも対応可能な施設・機器運転計画をAIによって立案できるようになった。
需要予測は15分刻みで実施でき、施設・機器運転計画は10時間前には完成する。従来、人手で計画を作成していた際には、安全マージンを大きくとって水量を確保していたが、そのために長時間にわたって貯水すると水質が悪化する。一方AI制御により、常に適正に浄水施設を運転し、いつでも新鮮な水を供給できるようになった。
場合によっては消費者と水の消費計画を交渉したり、必要な電力の調達条件について電力会社側のスマートシステム側と交渉したりして、単独システムだけではなく双方がWIN‐WINになるように調整することも構想している。実際に、電力料金の安い夜間に施設や機器の運転を実施できる場合はシフトすることで、より低コストに水を供給できるようになる」(森永氏)
同じようにAIで適正な需要量を高精度に予測し、適切な安全マージンを確保しつつ、コストを抑制する仕組みは、電力調達の場合にも応用されている。
電力調達の場合、電力会社は火力や太陽光など特性の異なる電源を適切に選択するとともに、価格が常に変動する電力市場からも最適なコストで調達できるようにすることで、利益を増やせる。
消費者側も最適な電力会社や契約内容を選んで、利益を最大化したいはずだ。もし消費者側が電力使用量を夜間にシフトしたり、需要がピークになる時間帯をよけて利用したりできるなら、契約を相応に変更してコストを低減できる。一方の電力会社も需要のピーク時に対応するため、余分に見積もっていた電力量のマージンを、従来よりも正確な量で確保して、適正量だけ電力を調達できる。やはりコスト削減、利益拡大が可能になるわけだ(図2)。
このように相手と交渉することによって、柔軟に需給を調整すれば、一方だけの運転計画最適化だけでは実現できないような、お互いが得をする最適解に到達できる。その交渉は、人間同士よりも、電力の需要予測や電力市場価格などの多くのデータを利用して、人間よりもはるかに速く、効率よく、より的確に未来を予測しシミュレーションできるAIの方が向いている。
しかも一方のAIが他方に取引方法を提案し、他方のAIシステムが提案された方法を自分のシステムの都合に沿って吟味し、よりよい逆提案を行うといったやりとりを、数分間で何百回、何千回と往復できる。短時間にやりとりを重ねることで、より早く最適解に近づけられるのだ。
つまり、自分と相手側のスマートシステム同士がそれぞれのシステムの最適解ではなく、双方の利益を最大化する最適解を求めて交渉し、お互いが挙動調整すると、1つのスマートシステムだけでは達成できなかった効率化やコスト削減、制御の最適化、リソース有効活用など大きなメリットを手にできるというわけだ。
この自動交渉AIを製造バリューチェーンに応用するとどうなるだろうか。近年、工場のIT化が進み、自動制御やラインの合理化、受発注システムとの連携などを背景に、効率化の一途をたどっている。しかし、いまだに成約した受発注をベースにした運転計画で稼働しており、受発注契約の硬直性が、さらなるコスト削減や利益拡大のボトルネックになっているという。
「相手先が納期を1日遅らせてくれたらもっと安く製品を提供できる」「製品グレードが1ランク低い製品なら指定よりも早く納品できる」――など、その時々の都合で取引条件が変更できればお互いに得するのに、双方の事情や要望が正確に分からないために最適な取引条件が決められず、安全マージンを見込んだ型通りの受発注契約を踏襲してしまうということはよくあるだろう。
人間が受発注先を選定し、それぞれ仕様、価格、納期などの条件を交渉をすることは限界がある。その交渉を「自動交渉AI」に任せられれば、はるかに多くの取引先候補に詳細な条件を提示できる(図3)。
「自動交渉AI」を利用した場合の流れはこうだ。まず、それぞれの会社が「交渉代理人」としての機能を果たすAIエージェントを用意している前提で、発注側企業は取引先候補の企業のAIエージェントに取引条件を提示する。取引先候補企業のAIエージェントが交渉に参加し、取引条件にそのまま同意する場合もあれば、何かの条件を逆に提示して同意を求めてくる場合もある。
交渉では、生産システムの稼働状況や原材料在庫状況などの細かい情報をベースにして「納期をずらしてもらえれば対応可能」「仕様が若干異なる部品なら提示価格より安く提供可能」「提示された納期では単価1000円、1週間後の納期なら単価は800円で販売可能」などと詳細な条件を調整することになるだろう。その結果、最も利益が得られる条件で同意できる企業と契約することになる。
これにより、人間の調整コストはかからず、短時間で多数の企業との交渉ができる。このバリューチェーン内のメーカーは取引機会が増加することが期待でき、また生産設備や物流施設や資産などを遊ばせず、稼働効率を上げられるような条件での契約を増やすことも可能になる。物流企業なども含めてバリューチェーン全体のコストを下げ、参加企業がそれぞれ利益を得る可能性が高くなる(図4)。
「自動交渉AI」のユースケースとしては、製造バリューチェーンや交通制御の他、イベント施設などの人流制御、ドローンなどの飛行経路制御、小売業界の仕入れ・配送計画、スマートシティーに組み込まれる水道や電力など各種インフラの制御などが見込まれる。また金融、医療・介護などの領域でも応用が効きそうだ。
ただし、どのようなユースケースでも、多数のAIエージェントが交渉する場合には、交渉の場となるプラットフォームが必要になる。プラットフォームでは、交渉に利用される語彙(ごい)をはじめ、データフォーマット、プロトコルが定められていなければならない。まだプロトタイプの状態ではあるが、既にNECが自動交渉の検証環境ともなる「AI間自動交渉プラットフォーム」を提案している。
これにFraunhofer IOSB、カブク、Korea Electronics Technology Institute、沖電気工業、豊田通商が参加し、インダストリアル・インターネット・コンソーシアム(IIC)に共同で提案して、2019年8月に承認が下った。AI間自動交渉に必要な要素の「最小セット」(森永氏)ができた段階だが、各社はこのテストベッドへの参加者を増やしながら国際標準化する活動を展開するという。
もちろん、多くのスマートシステムがそうであるように、技術やプラットフォームがあるだけでは社会への実装は望めない。自動交渉で挙動を調整できたとしても、利害の調整にはまだ課題が残る。さらに自動調整のルールや、自動調整の結果に対する責任分担などに関わる制度もこれから整備する必要がある。
なお、AI間の自動交渉技術研究は約20年前から行われており、2011年からは年次でGoogleやFacebookも参加するAI交渉エージェントの競技会(国際自動交渉エージェント協議会:ANAC)が開催されている。協議会では物品売買ケースで合意条件案の自動生成と提示条件に対する受諾や拒否の判断を行い、所定時間で相手と合意して自己利益を最大にしたチームが優勝する。相手の出方を見て自分の出方を決めるAI交渉エージェントが強い。
また、NECがオーガナイザーとなり、仮想工場シミュレーターを使った第1回自動交渉AIコンペティションも開催された。既に自動交渉のアルゴリズムはある。それはテストベッドでの実証を通してさらに洗練されていくことだろう。社会制度などの整備の進展とともに、今後の技術研究と実証の動向に注目したい。
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