スマートホームIoT業界に、異ベンダーや異プロトコルの製品を“統合可能”な新標準規格「Matter」に準拠する製品の登場が目前に迫っている。音声コマンド「Alexa、○○して!」でApple、Googleデバイスも動く、そんな未来も遠くはないのだろうか?
「スマートホーム」は、一言呼びかけると電気がついて心地よい音楽を再生し、エアコンを過ごしやすい温度に設定する……、ユーザーのニーズに応じてその指示に“スマート”に応答する。
スマートホームによって人間による操作がほぼ不要になると思いがちだが現実は、スマート家電ごとに専用アプリを開いて操作しなければならず、「Apple Music」で音楽を聴きたいとき、「Amazon primevideo」で続きのエピソードを再生したいとき、異なる音声アシスタントに異なる音声コマンドで話しかけるようなありさまだ。これでは決して“スマート”とは言えないだろう。
大手テック企業はそれぞれ、自社の音声アシスタントが最上位のコントロールレイヤーとなり、複数の規格に対応できるよう目指している。しかし、現状「Alexa」と「Googleアシスタント」と「Siri」はやりとりはできないし、スマート家電の規格と異なる。
そんな状況が打破されるかもしれない。AmazonやApple、Googleなどのテック最大手も参加し、スマート家電などのホームIoT(Internet of Things)製品の相互運用性を高め、オープンな仕様で多種多様なデバイスのエコシステムを拡大する可能性を秘めた新標準規格が「Matter」だ。
Matterは短距離無線デバイスの通信規格の1つであるZigBeeの規格標準化団体「Zigbee Alliance」がCSA(Connectivity Standards Alliance)の改称(2021年5月)とともに発表された。開発当初は「Project Connected Home over IP」(CHIP)と呼ばれ、その名が示すように、IPベースでホームIoTデバイスを相互に接続し、統合運用を目的とした標準規格だ。
ホームIoTデバイスの相互運用に関しては、よく似たコンセプトの経済産業省推奨規格「ECHONET Lite」も存在する。こちらもIPベースでの相互運用を可能にするアプリケーション層の規格で、蓄電池やヒートポンプ給湯機、太陽光発電システムなど各種HEMS(Home Energy Management System)機器で活用されているところだ。しかしこうした高額機器は住宅建設や設備刷新の際に導入されることがほとんどで、世帯保有率は数パーセントレベルにとどまり、日常的に利便性を感じている人は現時点ではそう多くない。
対して、Matterが最も違う点が、超巨大ITプラットフォーマーとしてグローバルに事業展開するGoogle、Apple、AmazonがCSAのプロモーターとして参画していることだ。これらビッグネームの参画を期に多くのデバイスメーカーなどが賛同し、2022年9月現在で合計513社がCSAメンバーとして名を連ねている。
電力政策と結びついてスマートホーム、スマートシティーといった大きなスコープを掲げてスタートした「ECHONET Lite」に対し、「Matter」は、LED電球、ドアロック、エアコンなどのHVAC、センサー、スイッチ、テレビ、防犯設備、商用照明、ルーターなどの比較的スケールしやすいホームIoTデバイスへの適応を想定している。より身近な消費者ニーズを満たす製品を相互に運用できるだけでなく、すでに宅内に設置済みの各種通信プロトコル採用デバイスも統合可能になるため、消費者の関心はより高まると思われる。
AppleとGoogleはスマートフォンのMatter対応を、AmazonはAlexaの対応をすでに表明しており、スマートフォンでIoTデバイス専用のアプリを複数立ち上げなくとも1つのアプリにコントロールを一元化したり、音声アシスタントだけで全てのデバイスを操作したりできる日がそろそろやってきそうだ。
Matterに対応した宅内デバイスは、「n対n」でのコントロールが可能になる。予想される例で言えば、Zigbee対応のドアセンサーを備えた扉を開ければ、室内のWi-Fi対応の照明が点灯し、室内設置のThread対応の音声アシスタントデバイスに「照明を少し暗くして」と話しかければ照明が調整される。
上述のように手元のスマートフォン上の単一アプリや音声アシスタントアプリによって全てのデバイスを操作可能になるだろうし、温度センサーや人感センサーなどによるエアコンや照明の自動ON/OFF・自動調整も、たとえ機器標準の通信プロトコルが異なっていてもシームレスにできるようになるだろう。
CSAプロモーターの1社であるシリコン・ラボの日本法人社長の深田学氏は「単独のプラットフォームでさまざまなデバイスをつなぐ囲い込みの文化はマーケットを狭くする。全てオープンにした標準をベースに競争を促進することで、デバイスの使い勝手はより改善されていく。デバイスベンダーにとっても製品開発がしやすくなり、多くの新しい製品を生み出せる可能性が広がる。Matterは、最終的にはPCの世界でUSBが果たしたような、IoTの世界の汎用的なインタフェースのような存在になることを望んでいる」と語った。そのようにさまざまなIoTデバイスの相互接続性・相互運用性を、身近なデバイスから拡大していくことが期待される。
Matterは、ホームIoTデバイス同士をどのようにつなぐのだろうか。現在、スマートホームの足回りとなるIoTデバイスの通信規格としては、無線ではWi-Fi、Bluetooth、Zigbee、Z-Wave、Thread、IEEE 802.15.4など、有線ではDOCSIS(CATV回線を利用)、イーサネットなどが利用されている。通信容量が大容量で消費電力の高いものから低容量だが消費電力の少ないものまで多様な規格が存在している。
シリコン・ラボ(米国)のプリンシパルプロダクトマネージャーであるロブ・アレクサンダー氏は、この現状からくる不便をMatterが解決すると語る。
「Matterはアプリケーションレイヤーのプロトコルであり、生活の中のさまざまなデバイスを連携できる拡張性のある仕様になっている。足回りの通信プロトコルが何であれ、例えばスマートフォン1つでWi-Fi対応の多様なデバイスをコントロール可能になるし、独自プロトコルのZigbee対応のデバイスならMatter対応のゲートウェイ(ブリッジ)を経由しての接続が可能になる。既存のデバイスはOTAでのソフトウェアアップデートによってMatter対応が可能だ」(アレクサンダー氏)。
Matterのプロトコルスタックを図1に示す。MatterはTCP/IPのネットワーク参照モデルのアプリケーション層(第4層)のプロトコルであり、IPアドレスをもつ全デバイスに対応できる。ちなみにThreadはIPv6層(インターネット層)の下のネットワークインタフェース層のプロトコルだ。同様にこの層では上述のようなさまざまな通信プロトコルが併存可能なため、IPアドレスさえ持つことができれば、それぞれのデバイスやプロトコルの機能性を生かしつつ相互連携させて運用できる。
また、IPベースとはいえあくまでローカルIPの利用であり、仮にインターネットサービスが中断したりインターネット接続にトラブルが生じたりしても、ローカルの機器同士の連携が失われることがないように配慮されている。
IoTデバイスの相互接続・相互運用により利便性が高まる一方で、セキュリティが標準化できるところにも注目したい。現状では、デバイスやそれを管理するベンダーごとのクラウドプラットフォームにそれぞれ独自のセキュリティや認証が組み込まれているが、アレクサンダー氏は「それが開発者の混乱を招き、消費者にとって危険性のある実装につながる」と指摘する。
Wi-FiやThreadなどの技術では、セキュリティ対策を追加することで安全を保つが、Matterの場合は「自己完結型パッケージに機能的なセキュリティ要素を基準実装として含む」ために、全体のセキュリティが向上すると説明する。
Matter対応デバイスは全てデバイスID(一意の識別子)を備え、ネットワークに加わる際にはデバイス内に安全に保管された製造会社の電子証明書(公開鍵基盤に依拠)を利用したデバイス認証が必ず行われる。またデバイスごとに貼付されたQRコードによるデバイス認証もできる。承諾を得ずに勝手に宅内に持ち込まれたデバイスは、宅内のMatterネットワークに参加できず、Wi-FiのパスワードやThreadのマスターキーが入手できない仕組みになっており、不正な接続を未然に防げるというわけだ。
さらに実証済みの標準的な暗号化方式により、メッセージは全て暗号化される。またファームウェア更新時にはOTAによる自動更新を採用し、更新漏れなどによるセキュリティリスクを低減するように考慮されているのもポイントだ。
こうしたセキュリティ機能を利用するためには、デバイスのMatter準拠を客観的に認定する仕組みが必要だ。準拠の認定はCSAが行い、合格すればMatterロゴの使用やCSAサイトへの製品掲載が可能になる。認証は、CSAに参加して製造会社のIDを取得、デバイスのMatter仕様適合性を認定テスト業者が検証することになる。当初は製品認定が2021年に開始されるとされていたが延期されており、最終的にMatter認定製品が登場するのは今秋以降となる見込みだ。
日本では近年になってAlexaやGoogleアシスタントなどによる各種家電製品の音声操作が注目されているが、ホームIoTが普及しているとは言い難い。NACS(日本消費生活アドバイザー・コンサルタント・相談員協会)がまとめた「消費者のAI/IoT機器利用に関する意識・実態調査」(2021年5月)にAI/IoT機器やサービスに関する消費者の声が集められているが、最も利用率が高いのがスマートウォッチ(16%)、次が防犯カメラ(14%)、後は高い順に見守りセンサー(13%)、スマートスピーカー(12%)、お掃除ロボット(10%)、スマートスイッチ・スマートリモコン(8%)となっている。
一方でスマートフォンなどモバイル端末の世帯普及率は9割を超え、インターネット利用率も83.4%(令和3年版「情報通信白書」)であることを考えるとホームIoTデバイスの普及率は伸びしろがある状況だと言える。
ちなみにNACSは消費者の声を分析して、関連事業者に向けて改善すべきポイントを「提言」として表明している。その筆頭に挙げられたのが次の2項目だ(一部省略して引用)。
高齢化が進む日本では、扱いやすいデバイス、導入や設定のしやすいデバイスへの期待がさらに高まると考えられる。Matterは前述のような期待に応えられる要素を十分に備えているのではないだろうか。
なお、Matterの開発チームは、オープンソースの「Matter Software Development Kit」(SDK)の開発をしている。これを活用して、監査および検査の仕組みに取り組んでいるところだ。その動きを受け、シリコン・ラボでは同社のIoT向けSDKである「Gecko SDK」および「Simplicity Studio」の一部としてMatterを完全に統合する計画だ。
オープンSDKを活用してコストを節約することはできても、デバイスメーカーにとっては独自性が失われるのではないかと不安を持つ場合もあるだろう。これに対してアレクサンダー氏は「標準規格をベースにしたデバイス開発でも、よりよい通信品質の無線システム、よりインテリジェンスなデバイス、高度なIoTセキュリティオプション、デバイスの長寿命化、OTAアップデートなどの機能の確実な組み込みなど、十分に差別化は可能」とアレクサンダー氏は言う。
Matter認定デバイスが誕生するのは今秋以降なので、市場にお目見えする日も間近だ。期待して待ちたい。
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