メディア

“働く義務”から“働く権利”へ 元Google本社副社長・村上憲郎氏に聞く 【前編】

» 2017年09月04日 10時00分 公開
[相馬大輔RPA BANK]

2021年9月13日、RPA BANK はキーマンズネットに移管いたしました。
移管に関する FAQ やお問い合わせは RPA BANKをご利用いただいていた方へのお知らせ をご覧ください。

RPA BANK

世界中で近年、し烈な開発競争が繰り広げられているAI(人工知能)。トップ棋士への勝利、高精度な翻訳といった目覚ましい成果は、人間が「働く」ことの意味を大きく書き換え、テクノロジーによって社会が根本的に変容する「シンギュラリティ」の到来も予感させつつある。いっそう加速するイノベーションのただ中で、いま私たちはどのような場所に立ち、そしていかなる未来を歩むべきなのか。トレンドの最先端を走り続けるGoogleで経営をつかさどり、国内外の産業政策にも通暁する村上憲郎氏へのインタビューを、前編・後編の2回に分けてご紹介する。

プロフィール

村上 憲郎(むらかみ のりお)

1947年大分県佐伯市生まれ。京都大学工学部を卒業後、日立電子、デジタルイクイップメント(DEC)などを経て、2003年4月にGoogle米国本社 副社長兼Google Japan 代表取締役社長に就任。およそ6年にわたって日本におけるGoogle全業務の責任者を務めた。現在、村上憲郎事務所代表。東京工業大学学長アドバイザリーボード構成員なども務める。


プロフィール

上松 恵理子(うえまつ えりこ):聞き手

武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部准教授。博士(教育学)。現在、東洋大学非常勤講師、「教育における情報通信(ICT)の利活用促進をめざす議員連盟」有識者アドバイザー、総務省プログラミング教育推進事業会議委員、早稲田大学招聘研究員、国際大学GLOCOM客員研究員なども務める。著書に『小学校にプログラミングがやってきた!超入門編』(三省堂)等。


資本主義の終焉

本日のテーマは「働く」です。早速ですが、日本政府はいま、2020年までに名目GDP600兆円という目標を掲げています。米国に次ぐ2位の座を中国に譲ったのが2011年。1人当たりの名目GDPでも最高で世界3位だった日本ですが、現在は2016年では22位ですね。日本の生産性といった視点で見た時、現在のこの数字をどのように捉えられていますか。

人数の問題ですよ。人口が日本の10倍ある中国との比較は、ナンセンスです。1人当たり名目GDPにしても、高齢化した日本社会は総人口よりも速いペースで働き手の年代が減りだしたので、しょうがないんです。

生産性が低い、つまり労力や資本をかけた割に価値が得られないとすれば問題ですが、生産性のよしあしはインプットとアウトプットの割り算で相対的に決まります。だから、GDPや人口の絶対量が減ったと嘆く必要はないのです。

−生産人口の減少で落ちてしまう力を補うエンジンとして、AIなどのテクノロジーは欠かせませんね。それでも何か、国が廃れていくような不安感を持ってしまうのですが・・・。

廃れませんよ。オランダがよい例です。江戸時代の長崎から「蘭学」をもたらしたころ、アジアの海で覇権を握っていた彼らは現在そうした勢力を持ちませんが、だから不幸だとは言わないと思いますよ。雇用などの社会制度は先進的で、基本的な生活費をまかなえる金額を無条件で定期的に受け取れる「ベーシックインカム」の社会実験を検討している都市もあります。

人間の役割は、AIの出現によって変わります。最終的には、働く必要もなくなるでしょう。みなさん働くことは“義務”と思われているでしょうが、むしろ“権利”なんです(注1)。

日本国憲法第27条1項は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」と定めている。

働いても働かなくても20万円もらえるなら、どっちがいいですか。働かないほうがいいな、僕は、喜んで“権利”を放棄します(笑)。

マーク・ザッカーバーグが5月、ハーバード大学の卒業式スピーチで、「ユニバーサル・ベーシックインカムをやるしかない」と言っちゃったわけですよ(注2)。

FacebookのCEO・マーク・ザッカーバーグ氏は2017年5月25日、母校であるハーバード大学の卒業式スピーチで「私たちは、新しいことに挑戦するための緩衝材をあらゆる人にもたらすため、ユニバーサル・ベーシックインカムのようなアイデアを研究しなければならない」と発言した。

彼が言うユニバーサル・ベーシックインカムというのは一番極端な方法で、オギャーと生まれたら誰でも毎月20万円くらい、生活できる1人分の額が口座に振り込まれるというものです。誰もお金のために働かなくてよくなるまでの経過措置として「働く権利を行使した人が稼いだ中から、働く権利を放棄した人に対して毎月、生活できるだけの額を振り込む」という考え方もあります。

エネルギーについても、電気代はいずれタダになります。各国とも「2040年くらいで電気自動車以外は禁止(注3)」と言い始めていて、化石燃料を燃やす時代は、もうすぐ終わる。そこで、代替となる電気をどうやって起こすか。おそらく、タダになります。再生可能エネルギーなど、さまざまな方法を使ってですね。

働く必要もなくなり、エネルギーもタダになる。何が起こるのか。「ついに資本主義が終わる」ということですね。

マンキュー(注4)でもそうだけど、経済学というのはこれまで、希少性(scarcity)を原動力に回る経済が前提で、だからこそ資本を含め、希少な資源をどう最適に分配して効率を上げるか探求してきた学問なんです。ところが、これからは違う。モノがあふれている「潤沢さ(abundance)」を前提とした、新しい経済学が構築されていくと予想されます(注5)。

身近な例で言えば「ビニール傘」がそうです。運悪く雨に降られたら、その辺のコンビニで数百円出して買う。予定の場所まで行って用事を終え、外が晴れていたら、持ち帰るのも面倒だから傘立てに置いて帰る。その傘が、次の人たちへの寄付になるわけです。

だから日本においては、すでにビニール傘が潤沢さを具現化しているということです。まず傘、次に自転車、さらに自動車をみんなで使うようになっていくでしょう。

−IoTであらゆるモノにICチップが入るようになれば、何がどこにあるかは居ながらにして確かめられるので、そうしたことも実現されるのでしょうね。

そういう時代になります。ただ、われわれ世代は所有欲を満たすことを前提とした生活をしてきましたから、なかなか純粋な気持ちになり切れないんです。ビニール傘も必要なとき使わせてもらえば十分なのに、家に持って帰ろうなどとすぐ考えてしまう(笑)。

物質的な所有欲から無縁な世代が現れるまで、あと100年か200年かかるでしょうし、一直線の単純なプロセスではなく、紆余曲折ありながら進んでいくのでしょう。それでも「人類がいよいよ、新しい段階に足を踏み入れた」ということが重要なんです。

なぜ今、「Industry4.0」なのか

―新しい段階に踏み入れたことを象徴する言葉として「Industry4.0」があるかと思います。これまで日本が新しいことに取り組むときにはアメリカの後を追いかける場合が多かったですが、この先日本は、どのような視点や立ち位置でIndustry4.0に向かい合うべきなのでしょうか。

この第4次産業革命で日本のパートナーとなるのはドイツです。私は在日ドイツ商工会議所とご縁があり、今年3月にドイツ・ハノーバーで開かれたICT見本市「CeBIT 2017」に、安倍晋三首相や世耕弘成経済産業大臣とご一緒させていただきました。そこで日独両国の間で「ハノーバー宣言」(注6)というものが結ばれたのですが、日独両国はこれから手を携えて第4次産業革命、「Industry4.0」っていうのを起こしていくわけです。

一方で、アメリカはこの分野を「Industrial Internet」と呼んでいます。IoT、ビッグデータ、人工知能による新しい生産システムっていうことだから、正確には、こちらのほうが正しいネーミングかもしれません。ただ、Industrial InternetというのはIT産業を中心とした第3次産業革命の延長線上にあるコンセプトですから、これを唯々諾々受け入れてしまうと、第3次産業革命を牽引したアメリカの勝ちを最初から認めてしまうことになる。それは、(ドイツ首相のアンゲラ・)メルケルさんと安倍さんには受け入れられない。

−日独が手を携えてIndustry4.0を打ち出す背景に、何か共通する事情があるのでしょうか。

日本とドイツはいずれも、クルマを作って売る自動車産業が、かなり大きな比重を占めている国です。アメリカはGMの「ボルト」(注7)とかが話題にはなっているけど、どちらかというとApple、Amazon、Google、Teslaたちが、クルマに関して、今までと明らかに違う産業をつくろうとしているわけです。分かりやすいのはUber、Lyftみたいな相乗り、ライドシェアのサービスですね。Googleも自動運転車で、レンタカーのエイビスと組む(注8)わけですよ。

問題となっているのは、車の「フリート(fleet)」です。もともと「艦隊」という意味で、納車してから廃車するまでの間の、稼働状態にある車の総台数をそう言うんです。いま20億台くらいあるんじゃないですかね、全世界で(注9)。

自動車メーカーの国際団体である国際自動車工業連合会の統計では、2015年に全世界で使用されている自動車の総数を12億8,227万台(前年比3.8%増)ととしている。

セルゲイ(・ブリン=Googleの共同創業者)なんかがどう言っているかっていうと「その20億台のうち、いまこの瞬間車庫に停まっているのが7割だろう」と。

経済効率でいうと、設備はなるべく余すところなく、フル稼働させるのが望ましい。とするならば、今20億台あったとしても、そのうち(稼働中の)6億台があればいい、あとの14億台は要らないということで、Industrial Internetの構想に乗ってしまうと自動車産業が一気にクラッシュする可能性があります。

BMWも2020年に自社の生産台数を3割減と言い始めていて、日本の自動車メーカーなどもそういった事情は分かっている。例えば国内の自動車メーカーなんかでは「レンタカーサービス」をやっていますが、車体を売るビジネスモデルから、モビリティーというサービスの提供に、もっと変えていかないといけない。それをどうソフトランディングさせるかというので少し時間的な余裕がほしいというのがIndustry4.0の実態です。

−お話を伺っていて、公文俊平先生の「情報文明論」(注10)技術と人間について、そういった背景を理解しておかないといけませんね。

ええ。「もうすぐ資本主義が終わる」なんて言うと、まるで反体制派みたいですが、各国のトップはそういう未来も念頭にソフトランディングの方法を考えている。急激な変化で社会的な動揺が起きないよう配慮しながら、来たる時代に向けた準備を着々と進めているのです。

第3次人工知能ブームの到達点

−Industry4.0の実態が見えてきた中で、その中心的テクノロジーとなるのが人工知能であることは疑いの余地がないと思います。現在「第3次人工知能ブーム」とも言われていますが、どこまで進歩しているのでしょうか。

人工知能ブームについて、私自身が体験するのは2度目です(注11)。第1次ブームは1956年の「ダートマス会議」(注12)がきっかけで、それは完璧な挫折だったんですけど、当時出たアイデアが今回の第3次ブームで実ってきているんですよ。私が体験したのは、第2次ブームのエキスパートシステム、あるいは、知識ベースシステムとよばれる試みでした。今回の第3次ブームは、マシンラーニング(機械学習)とか、ニューラルネットワークの分野で、ディープラーニングという新しい手法が登場したのがきっかけですね。更に、その手法を支える2つの条件が整ったということ。それがなんでできたかというと、深層学習する人工知能に食わせなければならないビッグデータが手に入るようになったのが1つ。もう1つは、NVIDIA(注13)の汎用GPUに代表される新しいマシンのコンピューティングパワーです。

Googleはそれだけでは足りずに「テンサー・プロセッシング・ユニット(Tensor processing unit)」(注14)っていうのを開発していて、それでも足らないから、「D-Wave」というカナダの会社が作った「量子アナログコンピュータ」っていうものを改良しようとして、ロサンゼルスに新しい量子コンピュータの研究所まで作って驚異的なコンピューティングパワーを手に入れようとしているわけです。ちなみにその基礎となる量子アニーリングの原理を1998年に初めて提案したのは日本人で、いま私が顧問をしている東京工業大学の西森秀稔先生(注15)と、当時の大学院生です。

いずれにせよ、ここ最近になってコンピューティングパワーが潤沢に手に入るようになったので、実用的なAIが開発できるようになったということです。

−急速なAIの進化を受けて、多くの人が漠然とした不安を抱いているように思えます。

レイ・カーツワイルは「シンギュラリティが2045年に到来する」と予言していますが(注16)、AI開発の現状で一番分かりやすい話をすると、じつは「意識」なんていうものを作れる兆しすらないんですよ。

囲碁プログラムの「AlphaGo」にしても、何のことはない、GPUが176台、ぶん回しで数値計算やっているだけ(注17)。そこに「人格」なるものはまったく登場していないんですね。このあいだ、人類最強とされる中国の棋士(柯潔九段)に3連勝しましたよね。でもそれで「勝った」と喜んでる意識体が、コンピューターの中には見いだせないんですよ(注18)。1年前に韓国の棋士(イ・セドル九段)とやったときには4勝1敗でしたが、これにしても4勝で「やったぞ!」とか、「1敗して残念!」とか、そういう思いを持つ意識体が何もないんです。

ある特定の能力に限れば、なるほどレイ・カーツワイルが言うように、人間の能力をはるかに凌駕した能力を示すことは想定できます。それによって消える職業もあるかもしれません。けれど、いわゆる「汎用人工知能」や、もっと高いレベルで言うと「意識体」。「AlphaGoってぇのは俺様のことよ」というのは、登場の兆しすらないんですよ。

未来に対してなんとなく不安を感じるのが悪いわけではありません。ただ個人的に、その必要はないと思っています。昔は人生50年でおしまいでしたが、これからは100年が当たり前になる。いずれ不老不死のような状態が実現するでしょう。レイなんて「僕は死なない」「サイボーグ化する」なんて言っていますからね。私もシリコンチップの上に転移したいと思っているんですよ、マシンの中に(笑)。


いずれ人類が遭遇する新たな地平と、その途上で日本社会が経験する産業構造の転換、そしてこれらの変化を巻き起こすイノベーションの核心について縦横無尽に語った村上氏。後編では、まだAIに備わっていない「意識」の本質をはじめ、自動化の進展に伴って多くの人が再考することとなる「働き方」や「ライフプラン」、そして日本が今後も競争力を保つための処方箋について、村上氏の見解をお伝えする。

注1:日本国憲法第27条1項は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」と定めている。

注2:FacebookのCEO・マーク・ザッカーバーグ氏は2017年5月25日、母校であるハーバード大学の卒業式スピーチで「私たちは、新しいことに挑戦するための緩衝材をあらゆる人にもたらすため、ユニバーサル・ベーシックインカムのようなアイデアを研究しなければならない」と発言した。

注3:フランス、英国両政府は今年7月、2040年までにガソリン車やディーゼル車の販売を全面的に禁止すると発表している。

注4:ハーバード大学のグレゴリー・マンキュー教授による経済学の教科書「Principles of Economics」は冒頭で「経済学は、希少な資源を社会がいかに管理するかについての学問である」と定義している。

注5;各国首脳のブレーンを務める文明評論家のジェレミー・リフキン氏は、著書「限界費用ゼロ社会」で、再生可能エネルギーへの転換によって電力がほぼ無料になると予測。同時に、所有へのこだわりが薄い共有型経済への転換が進むとしている。

注6:「ハノーバー宣言」は、2017年3月19日に日独の閣僚級で合意・署名。国際標準化や研究開発などで協力し、製造業におけるIoTの推進を図るとした。

注7:GMと韓国LGが共同開発した電気自動車「Chevrolet Bolt EV」が近く発売を予定している。

注8:Googleと同じAlphabet傘下で自動運転車を開発するWaymoと、Avis(エイビス)は2017年6月26日、Waymoが導入するミニバン600台(クライスラー製)の保管・保守をAvisが担当する業務提携に合意したと発表。

注9:自動車メーカーの国際団体である国際自動車工業連合会の統計では、2015年に全世界で使用されている自動車の総数を12億8,227万台(前年比3.8%増)ととしている。

注10:公文俊平氏は1935年生まれの社会学者。東京大学教養学部教授などを歴任、現在は多摩大学教授・情報社会学研究所所長を務める。1994年刊の同書では、前近代の「宗教文明」から脱した「近代文明」が、軍事化・産業化・情報化の局面を経て「智識文明」という新たな段階へ移行するとし、各文明の特質を解説している。

注11:現在の第3次ブームに先立つ「第2次AIブーム」は1980年代に起こり、日本では通商産業省(当時)が主導する「第5世代コンピュータ」プロジェクトで研究が進められた。研究では、当時村上氏が勤務していた米国DEC製のマシンが多用された。〔出典元:日経電子版〕

注12:1956年7月、米国のダートマス大学で開かれた計算機科学者による会議。「人工知能(Artificial Intelligence)」という用語が初めて用いられた場とされる。

注13:NVIDIAは1993年に設立された米国の半導体メーカー。主力製品は、画像処理の用途で利用されてきた「GPU」と呼ばれる半導体で、これを応用して機械学習の性能を飛躍的に向上させる手法が2011年に発見されたのを機に、AI関連企業として脚光を浴びている。

注14:「テンソル・プロセッシング・ユニット」とも。GoogleのサービスやAlphaGoなどに活用されている自社開発の集積回路。

注15:量子アニーリングの提唱者である東京工業大学・西森秀稔教授のウェブサイトで、D-Waveを含む最新情報がまとめられている。

注16:世界的なAIの権威であるレイ・カーツワイル氏は、2005年の著書「The Singularity is Near(邦題「シンギュラリティは近い」)」で、AIをはじめとするテクノロジーの進化によって人間の能力が根本的に変容するシンギュラリティ(技術的特異点)の到来を「2045年」と予測。同書では不死についても触れ、脳の状態をコンピューターに移し替えるなどの方法が2030年代の終わりには実現するとしている。

注17:AIのマシン構成や学習方法については、Googleの研究者らがまとめた「Nature」掲載論文が公開されている。

注18:一方、AlphaGoに3連敗した柯潔九段はその2日後、人間との対局で勝利。SNSに「人類との囲碁は気楽で伸び伸びして楽しい」と投稿して話題となった。


Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

会員登録(無料)

製品カタログや技術資料、導入事例など、IT導入の課題解決に役立つ資料を簡単に入手できます。