リーグ連覇で多忙になるのは人気選手だけではない。ファンが急拡大する中、日々のイベント運営や物販、問い合わせ対応など、チームスタッフも多忙を極めていた。地道に築いてきたファンとの接点も重要だ。質を下げずにどう期待に応えるか。
神奈川県川崎市をホームタウンに活動するプロサッカークラブの川崎フロンターレ。地域貢献を重視し、地元市民を中心に多数のサポーター(ファン)を抱える人気の強豪クラブの1つだ。クラブ名を聞くとどうしても選手や試合結果に関心が向きがちだが、同クラブを屈指の人気に高めるために、社員も日々奔走する。
リーグ連覇をきっかけに多忙がピークを迎えたとき、彼らが行き着いたのは「働き方を変える」というプロジェクトだった。中でも「社外とのやり取りの多さ、煩雑さ」を抱える部門はある道具をきっかけに、働き方だけでなく業務効率も向上させたという。本稿ではその背景と導入の成果を紹介する。
川崎フロンターレは、富士通サッカー部を母体に1997年に設立されたクラブチームだ。リーグ戦やカップ戦は準優勝や2位と、あと一歩のところで勝利を逃すことが多かったことから「シルバーコレクター」などと冷やかされることもあった同クラブ。しかし、2017年シーズンにはJ2リーグからの参加クラブとしては初めてJ1リーグタイトルを獲得。翌2018年シーズンにはJリーグ史上5クラブ目となる連覇を達成した。
初優勝獲得と連覇などを受けて、2018年6月には「サポーター会員」(後援会会員)数が4万人を突破、ホームスタジアムの等々力陸上競技場の収容人数約2万4000人をはるかに超えるサポーターを抱える人気クラブとなった。クラブとしての売上は拡大し続け、2018年度はリーグ4位となる約51億円を達成しており、14年連続黒字を実現した。
設立から約20年をかけて、人気、業績ともに国内屈指のクラブチームに成長した川崎フロンターレ。黒字経営を維持したことからも分かるように、運営資金は健全なものの、スタッフらの業務は他の企業と比べるとIT化はかなり遅れ気味で非効率だったという。その状況のママ人気クラブに成長した結果、運営スタッフは多忙を極める状況になっていたという。
クラブの資材や機器、ITなどを管理する管理部の部長、長尾光隆氏はこう話す。
「親会社でありスポンサーでもある富士通と比較すると、川崎フロンターレのIT環境やオフィスは、十分に整備されてきたとは言い難い面もありました」(長尾氏)
設立当初は全員の顔が分かるほど小さな組織だったため、さほどITが必要な場面も多くはなかったという。だが、クラブが成長する過程で人員を拡大したところ、「従来のやり方」だけでは対処しきれない問題が出てきた。
「リーグ制覇を機に業務量が増加したことで、もともとあった業務遂行上のムダや非効率が顕在化しつつある状況でした。ここ1〜2年はこの課題を改善すべく、生産性向上と働きやすさを求め、業務改革を進めています」(長尾氏)
現在、川崎フロンターレは執務環境全体の改善も進めており、オフィススペースの見直しなどと併せてITツールの導入も積極的に行っている。
例えば社員全員に支給するデバイスをフィーチャーフォンからスマートフォンに変え、メールサーバやファイルサーバも自社運用からクラウドサービス利用へと変えた。さらに、これら取り組みの一環としてもう1つ、ツールを導入した。
川崎フロンターレが社内外のコミュニケーションツールとして採用したのが、ビジネスチャットツールの「Chatwork(チャットワーク)」だ。
これまで社員やスタッフは、電話やメール、プライベート用途のメッセンジャー、SNSなどをバラバラに利用してコミュニケーションをとっていた。それらをChatworkに統一すべく、2019年2月に全社導入を決め、順次利用を拡大している状況だ。
川崎フロンターレが本拠を置く川崎市は神奈川県と東京都の境界近くに位置する。多摩川沿いに細長い地形だ。クラブと選手、選手とサポーターの距離が近く、地域密着型のファンサービスやプロモーションを手掛けるクラブとして知られる川崎フロンターレも、細長い地形に拠点を点在させる。
クラブハウスやオフィシャルグッズショップ、後援会やフットサル施設の「フロンタウンさぎぬま」がある北部(麻生区・多摩区・宮前区)から、ホームスタジアムや後援会事務所、本社事務所のある中部(中原区・高津区)、多目的施設の「富士通スタジアム川崎」がある南部(川崎区・幸区)まで市内10カ所に拠点を構える。
川崎フロンターレの社員は目的に応じてこの10の拠点を中心に業務を行う。試合がある日や練習のある日、地域のイベントなど、時々の担当業務によって拠点も就業時間も変化する。加えて、運営の核を担う選手やコーチは社員と異なる勤務体系で活動しており、社員はそのサポートも行う。
クラブチームの事業としては、スクールや下部組織の運営も重要だ。幼稚園児ほどの年齢の子どもから小学生、中高生年代、大人までが参加する「スクール」や、セレクションにより選抜された小学生から高校生までを年代別チームとして組織し、それぞれで試合や遠征をこなす「アカデミー」を持つ。これら全ての運営をスムーズにこなすには、遠征に同行するコーチらスタッフとの連携や業務報告なども密に行う必要がある。
このように、クラブチームの業務は外や外部とのやり取りが多く、また勤務形態も担当部門によって大きく異なる。フィールドで活動するスタッフも負担なく利用できるコミュニケーション手段が必要だった。即応性が求められる電話に対応しにくい場面も想定されることから、電話に変わる情報共有手段が必要だったのだ。
課題はもう1つあった。それは業務時間の幅が通常の企業よりもずっと広いという点だ。
原則として週休2日制をとるが、チケット販売やグッズ販売、プロモーション、協賛スポンサーの獲得などは全て試合開催日に合わせて行うため、それぞれ業務に合わせて時間を管理していく必要がある。当然、コミュニケーションの在り方も部門ごとにそれぞれ異なる。
広報部門は、毎試合後に行われる監督や選手の記者会見の対応が必要だ。全てが終わって帰宅するのは深夜になることも多い。一方で、チケット販売や集客プロモーションの部門は試合開催までの期間が忙しい。チケットの売れ行きがどうか、追加のキャンペーン施策を打つかどうかといった施策を検討するのも試合前のタイミングだ。さらにチームの関連グッズを販売する部門は、『優勝記念グッズ』のような限定品を企画したり、試合会場で販売したり、その売り上げを集計したりと、試合当日も忙しい。
ビジネスチャットは、こうしたさまざまな違いを乗り越えてコミュニケーションを密にするための手段の1つとして期待されている。
ビジネスチャット導入をリードした管理部総務グループの黒木 透氏は「事業運営の内容は特殊かもしれませんが、業務改革で着手すべきポイントは一般的な企業と変わりはありません。現場のニーズに合うかどうかを確認しながら、半年ほどかけて草の根で広めていきました」と明かす。
組織全体の働き方改革全体の中では、支給する携帯電話をスマートフォンに変更しており、「Microsoft Office 365」の利用など、執務環境を選ばず業務ができる環境も整えていた。スタッフが業務用スマートフォンを持ったことから、通話以外のコミュニケーションツールを試す環境ができたといえる。
ビジネス向けコミュニケーションツールは多数あるため、選定に際しては4種類ほどを比較検討した。
このとき重視したのは、「社外の人とのやりとりをすぐに始められること」「レクチャーなどが必要なく誰でも簡単に使えること」「表示やサポートなどがきちんと日本語に対応していること」の3点だ。
黒木氏によると、この3点を満たすビジネスチャットツールはChatworkだけだったという。Chatworkはニーズが高い部門を中心に小さく展開、一部の社員同士でチャットツールを試験的に導入してメリットを理解できるようになったところで、部署単位で順次導入を進める段階的な導入を行った。
先行導入部門は、管理部の他、社外とのやりとりが多い「広報」「グッズセールス」「チケットセールス」の4つの部門だ。
広報部門は前述の通り、試合後のメディア対応などが深夜に及ぶことが多い。Webサイトの情報更新などで外部の制作会社との連携が多いのも業務の特徴だ。グッズセールス部門は、リーグ優勝時には急きょ60〜100種類の「優勝記念グッズ」を展開することもあり、業務量が増していた。チケットセールス部門はシーズンチケットが開幕前に完売するほどのサポーター急増を受け、問い合わせ対応に追われる状況も生まれた。
いずれも部門全体で速くアクションを起こす必要がある状況で、誰かが稼働していれば連携して対応できる業務が多い部署といえる。
もう1つ重要だったのが、そもそも周囲の関係会社や協力企業がChatworkを利用するケースが多かったことだ。もともとJリーグ関係の業務に携わる企業の中で草の根的にChatworkの利用が広まっていたのだという。
「当社の取引先を見たとき、イベント会社やWeb制作会社、メディアなどのクリエイティブ関連企業でChatworkが使われていることが多いと感じていました。イベントやプロモーション、メディアとのやりとりを行う際は、相手がアカウントを持っていることが多いので、すぐにやりとりを始めることができます」(黒木氏)
もう1つ重要だったのはデスクワーカー以外のスタッフでも使いやすい点だという。
「日本で開発していることもあり、日本語を使った分かりやすいUIを備えています。今回の働き方改革をきっかけにスマートフォンに初めて触れる人でも簡単に使いこなせました」(黒木氏)
Chatworkの本格的な導入は2019年2月からだが、すでにさまざまな効果が確認できている。広報グループは社外とのやりとりをChatworkに一本化したことで、返信や確認といった作業が格段に楽になった。
取材に対応いただいた事業推進部 広報グループ 副グループ長 吉冨真人氏は「試合の日にスタジアムで配布するマッチデープログラムの制作や、川崎フロンターレのオフィシャルWebサイトの制作は、社外の制作会社と協力して行っています。これまでは電話やメール、メッセンジャーなどを相手によって変えていたのですが、Chatwork導入後はメールやメッセンジャーは原則禁止にしました。見るべきところが一つになったこと、関係各社の稼働時間が異なってもやりとりできますから、全体の作業を共有し早く進めることができています」と手応えを感じているそうだ。
トップチームやユースチームの活動の状況もChatworkに集約して『遠征中にこんなことがあった』『練習試合であんなことがあった』などをコーチやスタッフで共有するといった使い方も考えているという。
2月からの本格導入ということもあり、リーグ連覇を達成した2018年11月時点はChatworkのメッセージを使った「優勝の喜びのシェア」などは未体験だが、チケットセールスグループやグッズセールスグループで、関係各所とのやりとりにChatworkを活用して業務の効率化につなげている。
「移動の際のスキマ時間を活用して、さっと対応するといったことが以前よりしやすくなりました。今までデスクのPCで行っていた作業も社外でできますし、グッズショップなどの離れた拠点とのやりとりも簡単にできます。管理面でも、ユーザーの管理やログ取得、不正アクセスのブロックといった機能を使いながら、セキュリティやコンプライアンスの確保につなげることができています」(黒木氏)
本稿取材時点でおよそ3分の1の社員がChatworkを利用しはじめているという。実は最初の4部門のトライアル移行は「特にアクションを行うことなく現場主導で広がった」というから驚きだ。
「まずは使って便利さを理解してもらえた。今後は運用ルールを整備しつつ、より使いやすいコミュニケーションツールの在り方を探っていきたい」(黒木氏)
川崎フロンターレがJ2リーグからJ1リーグへ初昇格したのは2000年のこと。当時の社員は10数人で、スタジアムを訪れる人も3000人ほどだった。地域密着を掲げてファンサービスに力を入れたことで、ときには「過度なファンサービスが選手に負担を強いている、だから勝てない」といった批判すら受けた。だがファンサービスを重視して地域に貢献するポリシーを変えることなく連覇を果たし、地域に愛されるクラブを現実のものにしつつある。
「川崎フロンターレは皆が汗をかきながら駆け足でクラブを盛り立ててきました。その分、ITや設備に対する投資は後回しになりがちだったのだと思います。今はようやく働きやすいオフィス作りやIT環境の整備に取り組みはじめ、次の良いサービスに向けた準備を仕込めるようになてきたところです。リーグ連覇を達成したことで、サポーターの皆さんに求められるサービスの水準が高くなり、社員個人も責任感を強めています。一方でチケットが取れないことやチケット転売の問題など、運営として早急に対処しなければならない課題が多くあります。コミュニケーションを密にし、それぞれが知恵を出し合って、新しいチャレンジを続けていきたいと思っています」(長尾氏)
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