国外に多くの拠点・支社を擁する帝人の従業員は終わりのない翻訳作業に疲弊していた。AI翻訳サービスを導入したところ、推定で月1000人分もの作業を自動化できたという。とはいえ、ただAI翻訳サービスを利用しただけではない。その効果をさらに向上させた、“ある仕組み”とは。
国外に多くの拠点・支社を置き、海外企業と頻繁に取引をする帝人は、日々多くの資料を外国語に翻訳している。従来は各部署の業務担当者自身がそれらを翻訳していたため、膨大な作業負担が問題だった。
帝人は業務効率改善を目指してAI(人工知能)による翻訳サービスを導入したところ、推定で月1000人分もの作業を自動化できた。とはいえ、同社はただAI翻訳サービスを利用しただけではない。大きな効果を創出できた背景には、AI自動翻訳の効果をさらに上げるための、“ある仕組み”があった。
帝人は世界的に知られた繊維・化学メーカーだ。現在は繊維事業や化成品事業にとどまらず、医薬品や医療機器、さらに自動車部品、電子材料、ITサービスなどの事業にも乗り出している。
対外的な挑戦の裏で社内変革も進んでいる。同社は2018年度から変革業務改革推進室を構え、RPAの活用や社内のペーパーレス化支援といった業務効率化を推進してきた。中でも注力してきたプロジェクトの一つにAIを使った翻訳業務の自動化がある。帝人の業務改革推進室を牽引するI氏は、AI翻訳プロジェクト始動のきっかけについて「従業員における資料の翻訳作業の負担があまりに大きかったため」と振り返る。
帝人グループでは2022年3月現在、国内52社、海外117社を展開中だ。グループ全体の従業員数2万1815人のうち、海外拠点の従業員が1万2161人を占めている。役員のうち4人が外国人ということもあり、経営資料をはじめとするさまざまな社内文書を英訳する必要がある。また、海外企業との取引も年々増加中で、契約書や営業資料などを日本語以外の言語に翻訳する機会も増える一方だった。
「当社ではほとんどの部門で海外との関わりがあり、翻訳業務が必要です。従来は、各部署において業務の担当者自身が資料を翻訳することも多い状況でした。私が事業部門で勤務していた当時も、日本語で作った資料をその何倍もの時間を費やし自力で英訳していたものです。1日がかりで作成した資料でも、その翻訳に数日かかることもありました」(I氏)
中でも、重要資料や契約書の翻訳には苦労したという。仮に、否定と肯定の取り違えや、主語と目的語のズレなどによる誤訳があれば重大な問題につながる恐れもある。慎重を期して完成した文書をネイティブスピーカーにチェックしてもらったり、いったん英訳した文章を再び日本語訳して意味が取れるか確認したりしていた。
「英語をもっと勉強すれば翻訳時間も短くできるのでしょうが、従業員の多くは英語の専門家ではありません。英訳作業も大切ですが、それに時間を取られて本業がおろそかになり、生産性が落ちるようでは本末転倒だと、よく悩んでいましたね」(I氏)
英語以外の言語を使う部署はさらに深い悩みを抱えていた。英語なら従業員でも翻訳できるが、それ以外の言語の場合にはなかなかそうはいかない。例えば、日本語で書かれたマニュアルをインドネシア語に翻訳するような場合は、いったん日本人従業員が英訳し、それを現地従業員がインドネシア語に翻訳することもあったという。手間がかかる上、翻訳の精度が下がる可能性もあった他、そもそも正しく翻訳されているかを確認できなかった。外部の翻訳サービスに外注したり、そもそも翻訳することを諦めたりしてしまうケースもあったという。
従業員の中には、Google翻訳などの無料翻訳サービスを利用している人もいた。しかし2015年、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)から無料翻訳サービスに入力した内容の意図しない情報漏洩に関する注意喚起があった。帝人では被害はなかったが、無料翻訳サービス利用のリスクが社内外から指摘されていた。
「顧客とのやり取りや社外秘の情報などが漏洩したら、大変な事態になります。そこで、当社は2017年ごろから、セキュリティがしっかりしていて、翻訳作業の手間を減らせるサービスがないかと検討を始めました」(I氏)
翻訳サービスの検討時は、翻訳精度の高さの他に2点を重視した。1つ目は、全従業員が容易に利用できること。2つ目はセキュリティの高さだ。そこで基準となったのが、一度のユーザー認証処理で複数のサービスにログインできる「シングルサインオン」(SSO)機能の有無だ。
「当グループの国内拠点には約1万人の従業員がいて、入・退社や異動が多い時期もあります。そのたびにユーザーIDの改廃などのマスター管理は大変ですから、『Active Directory』と連携させたSSOによって、ユーザー管理の手間がなく、安全にログインできることが大前提でした」(I氏)
2017年当時は3つの翻訳サービスを検討したが、その中でSSOが使えたのは、インターグループが提供していた「PatTra」(パットラ)だけだった。
PatTraには2週間の無料トライアル期間が用意されている。帝人は、まず限られた部署でPatTraを試用した。実際に使ってみると、操作が簡単なことや、複数ページのファイルをまるごと翻訳できることに利便性を感じたという。
「PatTraは、ブラウザでテキストを直接入力する、あるいは、ファイルをドラッグ・アンド・ドロップするだけで翻訳が完了するので、複雑な操作はありません。『Microsoft PowerPoint』などのファイルをドラッグ・アンド・ドロップすると、そのままのレイアウトでテキストだけ翻訳されたファイルを得られます。当時はこのようなサービスが他になかったので、これは便利だと感じました」(I氏)
こうしてPatTraの全社導入と無料翻訳サービスへの接続の遮断を実施した。しかし、導入したばかりの頃はそれまで使っていた無料翻訳サービスと操作方法が違っていたことで、一部の従業員から使いづらいという声が出たこともあった。さらに、化学業界などのテクニカルタームや帝人社内でよく使われる社内用語については、違和感のある翻訳も少なくなかったという。
そこで、帝人はテクニカルタームなどを「カンパニー辞書」に登録することで、翻訳精度を高めることにした。固有の訳語を辞書として登録しておけば、次からはその辞書の通りに翻訳されるようになる。
このカンパニー辞書への登録は、人手をかけないようにRPAで自動化した。
「事業部によって用語の訳が異なるケースがありますから、ユーザーがカンパニー辞書に登録することは許可していません。『コーポレーションコミュニケーション部』が社内外向けの共通用語やテクニカルタームを収集し、グロッサリー(用語集)として編集、社内公開していますので、それをRPAが月1回くらいのペースでカンパニー辞書に自動登録しています」(I氏)
さらに、PatTraとRPAを連携させて「翻訳したいファイルをメールで送信すると、翌朝に翻訳されたファイルがメールで返信される」仕組みを構築し、翻訳の工程をより簡略化した。多数のファイルをPatTraにいちいちドラッグ・アンド・ドロップすることなく、メールでまとめて送信すれば作業が完了する。
なお、PatTraのサービス利用料に関しては、インターグループと相談しながら柔軟に設定している。PatTraの料金体系は、ユーザー数に応じて月額料金が決まる定額制だ。ユーザー数15人の「スモール」ライセンスは月2万6400円(税込)、30人の「ミディアム」ライセンスは4万4000円(税込)、100人の「ラージ」ライセンスは8万8000円(税込)となっている。帝人の場合は、国内拠点で働く約1万人がPatTraのアカウントを持っているが、料金に関してはインターグループと協議の上、適切な金額が設定されているそうだ。
「1万人の従業員全員がPatTraを使える環境を構築しましたが、一方で、全員が実際に使うわけではありません。そこで、どのくらいの人数がどの程度の頻度や量で利用しているのかをインターグループと共有し、それに合わせてサービス利用料を設定しました。その後は、前年の利用状況と翌年の利用予測を見ながら、サービス利用料を決めています」(I氏)
PatTraの導入による業務削減効果は絶大だった。600〜700人/月の作業削減効果が現れているというのがI氏の見立てだ。
「PatTraで翻訳している資料の量から試算した結果、翻訳作業は約1000人/月の工数に相当するとみています。PatTraを導入したことによって、これまで翻訳をしなかった、あるいは断念していた文書の翻訳も実施するようになったので、その分を割り引くと約600〜700人/月程度の工数が翻訳作業から解放され、新たに創出されたことになるのではないでしょうか。PatTraのサービス利用料を考慮すると、十分な効果が得られていますね」(I氏)
PatTraの導入によって英語以外の言語に翻訳される文書も増えた。インドネシア語やタイ語、オランダ語など、これまでは従業員による翻訳が難しかった言語でも、手軽に翻訳できるようになったという。現地従業員や現地顧客などに対して、コンプライアンスやSDGsに関わる情報の発信力が高まった。
帝人は今後、AI-OCRを組み合わせて改善効果をさらに向上させることも検討している。
「社内には、紙の請求書やインボイス(送り状)を自動的に読み取り、PatTraで翻訳したいというニーズもあります。これらの紙文書に記載されている文字や数字をAI-OCRで読み取り、社内の基幹システムなどに自動入力できると、業務効率改善に役立つと考えています」(I氏)
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