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EU市場の新たな“関所”「デジタル製品パスポート」の傾向と対策

EUが「デジタル製品パスポート」の法制化に動き出した。これが実現すれば、EU市場で製品を販売するほぼ全ての企業が、各部品の来歴や環境負荷に関する情報を明確化して、提示しなければならないという。この難局を前に専門家が日本企業を救う“ある道筋”を示した。

» 2022年11月11日 08時00分 公開
[土肥正弘ドキュメント工房]

 EU(欧州連合)が環境保全を目的に法制化を進める「デジタル製品パスポート」。これに対応していない製品はEU域内での販売が禁止される可能性が高く、制度に対応できない日本企業はEU市場からの撤退を余儀なくされるかもしれない。EU市場への対策として製品のエネルギー効率に注意しているという企業も、より多様な要件をクリアする必要が出てくる。要件の詳細と日本企業にできることを専門家に聞いた。

EU市場の新たな“関所”「デジタル製品パスポート」

 EU(欧州連合)は、気候変動や自然資源の保全を意識しながら経済成長を目指す循環型経済を提唱している。この循環型経済を実現するための枠組みが、製品に対する環境要件を示すエコデザイン指令(2009年施行)だ。そして、このエコデザイン指令を厳格化した「持続可能な製品のためのエコデザイン規則」が2022年3月に公表され、波紋を引き起こしている。

 「指令」から法的拘束力を持つ「規則」になることで、EU参加国は全て一律にESPRに従うことになる(各国個別の対応にはならない)。そして、製品がESPRを順守しているかどうかを証明する仕組みが、今回紹介する「デジタル製品パスポート(DPP)」だ。

図1 デジタル製品パスポートの概要とその背景(提供:国際経済研究所 橋本択摩氏)

EU市場で取引される製品の「性能要件」は?

 2022年3月に公表されたESPR案は「持続可能な製品のための政策パッケージ」に盛り込まれた法案の一つで、他に「エコデザイン・エネルギーラベル作業計画2022-2024」「グリーン移行に向けた消費者のエンパワーメントに関する指令案」「持続可能な循環型繊維製品に向けたEU戦略」「建設資材の規則改正案」などが発表された。これらが一体となって新しいEUの循環型経済政策を形作ることになる。

 ESPR案は次の点でエコデザイン指令と比較して大幅な規制強化、拡張があった。

表 現行のエコデザイン指令とESPR案の適用範囲と要件の違い(提供:国際経済研究所・橋本択摩氏)
現行のエコデザイン指令(2009/125/EC) ESPR案(2022年3月)
適用範囲 家電などエネルギー関連製品のみ EU域内市場で上市または使用開始されるあらゆる物理的な商品に適用(ただし、食品、飼料、医薬品など一部例外を除く)
エコデザイン要件 主に製品のエネルギー効率 耐久性、信頼性、修理可能性、資源効率性、環境影響(カーボンおよび環境フットプリント)など、循環型の要件も導入

 これまでは家電などのエネルギー関連製品のエネルギー効率だけに配慮していればよかったものが、ほぼ全ての製品において10個の「性能要件」を満たすことが求められている。

(1)耐久性、信頼性、再利用性、アップグレード性

(2)修理可能性、メンテナンスおよび改修の可能性

(3)環境負荷物質の有無

(4)エネルギー使用量またはエネルギー効率

(5)資源使用量または資源効率

(6)リサイクル可能な内容

(7)再製造およびリサイクルの可能性

(8)材料回収の可能性

(9)環境影響(カーボンおよび環境フットプリントを含む)

(10)廃棄物の予想される発生量

  これらの要件はESRP案の「第6条」で求められている。ただし、今後は製品ジャンルや業界ごとに要件を変えてくる可能性がある。法案採択後の分野別「委任細則」で細かい要件を決めるという提案があることを踏まえると、上記の10項目それぞれに、業界や分野ごとの要件がまとめられることになるだろう。

「性能要件」と対になる「情報要件」と「デジタル製品パスポート」

 ESPR案の「第7条」には「情報要件」が記されており、「性能要件」を満たすことを示す情報を開示することを提案している。その方法として「第8条」に示されたのが「デジタル製品パスポート」だ。実態としては、おそらくQRコードのような符号化されたラベルになるだろう。パッケージや製品そのもの、あるいは製品に付属する書類などに貼付されると予想できる。

 コードで表現されるのは、上述の性能要件に対応した事項だ。これまでのような「認定ラベル/シール」による識別法と違い、デジタル製品パスポートでは製品ができるまでの原材料から加工、製造、販売までのバリューチェーン全体に関わった企業名、時期、場所(国や地域)、そして製品自体の環境負荷、耐久性、信頼性、修理・メンテナンス、リサイクル、廃棄・解体方法などの多くの情報が必要になる(図2)。

 また製品のエネルギー性能に関するラベリング(基準数値をクリアしたことを示す)も同コード内に挿入できる。全てを製品添付のコードだけで表現することは難しいので、情報を記載したWebサイトなどの情報源へのリンクをコードに入れ込む方法も考えられる。

図2 デジタル製品パスポート導入までのタイムラインと懸念される企業への影響(提供:国際経済研究所 橋本択摩氏)

 デジタル製品パスポートを読み取ると、原材料から最終製品、そして材料の再生利用や最終的な廃棄まで、資源のライフサイクルを全てトレースできる。資源の有効活用や環境負荷、製品リサイクル、廃棄に関する詳細な情報の添付を義務化するのは世界で初めての試みだ。

 EU域内に製品が入るときには、デジタル情報パスポートが添付されているかどうかで輸出入の可否が判断され、要件の対応レベルによって関税率を変えることも可能になる。流通業者や販売業者、消費者は、適正な性能要件や情報要件をどの程度満たしているのかを判断できる。製品個々の循環性や、エネルギー効率、環境改善への貢献程度が分かり、環境負荷のトレーサビリティーが大きく改善する。これに対応する製品や企業ブランドの強化につながる可能性もある。

EUの狙いは何か

 EUはこれまでも域内の産業を域外の巨大資本から保護する政策をとってきた。今回のESPR案もその延長だ。国際経済研究所の橋本択摩上席研究員は次のように話す。

 「EUの強みは4.5億人の先進国市場があることです。EUが規制を設けて外国企業への市場参入障壁を高くしても、それを乗り越えて参入したいと考える外国企業は多くあります。それ故にEUが域内に適用する法律を作るだけで、外国企業はそれに従わざるを得なくなり、実質的にグローバルに規制をかけることになります。表向きはEUが対外的に規制を強制するのではなく、個々の企業が自発的にEU基準に合致した製品を作ることになります。このようなルール形成戦略でグローバルな市場を規制していくEUのやり方は"ブリュッセル効果"とも言われ、政治戦略の一つです」

 このような政治戦略は、充電ケーブル端子がEU域内でUSB Type-C規格に統一される法案の採決(2022年10月)や、GDPR(EU一般データ保護規則)の施行などでも見られたものだ。また、2021年7月の欧州委員会による気候変動政策パッケージで提案された施策の一つである「炭素国境調整措置」(CBAM:Carbon Border Adjustment Mechanism)も背景に"ブリュッセル効果"の考え方がある。

 これはEU市場に輸入される鉄鋼、アルミニウム、セメント、肥料、電力に関する製品に、製品単位当たりの炭素排出量に基づくCBAM証書の購入を輸入者に課すものだ。EUの厳しい基準を広げる戦略の背景に、EUの支配力強化という大きな政治的なもくろみがあるのは間違いない。

日本企業はどう対応すればよいのか

 地球環境保護や資源有効活用、環境、健康リスクの排除などといった理想は美しく、異議を唱えるのは難しいものだ。しかしESRP案に完全に対応するに当たって、製品のバリューチェーンに関わる企業は多大な責任を担うことになる。

 自動車は部品点数が3万以上にも及ぶ。その部品の来歴や環境負荷を明らかにして、かつその情報へのアクセスを可能にすることは中小企業を含む部品メーカーにとって大きな負担になる。他の製品に関しても同様だ。複数のEU加盟国からも「中小企業のコスト負担を回避する必要性」が表明され、EU内の専門家からは「EUはデータの開示と報告に関して企業に不必要な管理負担を強いるべきではない」とする意見も上がった。

 日本企業はどう対応すればよいのだろうか。橋本氏は次のように話した。

 「個別の企業が完全に対応するのは困難です。サプライチェーンを構成する複数の企業がアライアンスを組んで対応する必要があります。ドイツの産学協同のCatena-X Automotive Network(2021年5月設立)は、自動車産業におけるデータネットワークを構築して、製品ライフサイクル全体のCO2排出のトレーサビリティーを確保しようとしています。これは参考となる動きでしょう。日本の製品サプライチェーンを構成する多くの企業を顧客とするメガバンクや商社が中心となれば、個々の企業の負担が軽減できる可能性もあります」

 日本の電子情報技術産業協会(JEITA)は、企業のカーボンニュートラル化の促進と産業、社会の変革を掲げて「Green×Digitalコンソーシアム」を設立(2021年9月)した。三井住友銀行はIBMや炭素会計ベンチャーであるPersefoni AIと提携して企業自身でカーボンフットプリントの算定、分析、管理が可能なサービス提供を開始しようとしている。

 その他グローバルでは、バッテリーのライフサイクルを、ブロックチェーンを利用して管理して、適切な回収やリサイクルに役立てる方法が注目されている。その手法については、モビリティーオープンブロックチェーンイニシアチブ(MOBI/2018年5月設立のNPO、自動車メーカーやIT業者150社以上が参加)が業界ルールや標準の策定を目指している。ブロックチェーンでの管理はレアメタル再利用などさまざまな面で役立つので、製品や部品のライフサイクル管理にも適用できると期待されている。

 サプライチェーンを構成する企業のアライアンスと、ブロックチェーンなどのIT技術を活用すれば、比較的低コストで環境負荷に関する情報収集や計算が可能になるだろう。中小企業であってもESPRによって要求された情報の開示が容易になるかもしれない。

「エコデザイン規則」が施行されるのはいつ?

 いつ法案が採択され、制度が施行されるのか。現在は、欧州委員会がエコデザイン規則の法案を公表後、欧州議会および欧州理事会がそれを協議している段階だ。今後は欧州委員会と共に三者協議を実施し、修正案の擦り合わせなどを経て、三者合意がなされた後に採択される。

 2022年9月29日のEU理事会においては、「全てのEU加盟国がデジタル製品パスポートと、その背景にあるエコデザイン要件を歓迎すること、デジタル製品パスポートが単一市場内で循環型経済に適合した持続可能な製品の自由な移動を確保するのに役立つこと」が大筋で合意された。

 ただし一部の加盟国は、委任法の広範な使用と、各国の市場監視当局が新たな要件を施行する際に直面しうる課題について懸念を示した。また上述したようにEU企業、特に中小企業にとってコスト負担を回避する必要性を表明した国もあったという。

 EUの法案公表から採択までは1〜2年を要するといわれる。だが、今回の法案は影響範囲が広く業界の反発を招く可能性もあるため、この期間が延びる可能性もある。橋本氏は「2024年5月に欧州議会の改選があるため、法案採択はそれ以前、24年春になるのではないか」と予想する。

 そのスケジュールを踏まえると、採択以降に各業界で議論される「委任細則」の策定の時間を含めて2027年が制度のスタートになると見込まれている。まだ確証は得られないが、それほど遠くない未来にデジタル製品パスポートへの対応を求められるだろう。法案とその後の議論を注視しつつ、早々に準備を進める必要がありそうだ。

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