全社員を「AIマスター化」した広告代理店の“研修じゃない”人材戦略
顧客支援の質とスピードを底上げすべく生成AIの全社導入に踏み切ったテレシーだが、AIリテラシー格差による提供価値のバラつきや情報漏えいに対する懸念に直面した。同社はこの課題を突破するために、AI人材の育成と情報基盤の整備の両輪が必要だと考えた。
「AIに入力していいデータが分からず、情報漏えいリスクが怖くて使えない」「一部の詳しい従業員しか使っていない」――。生成AIを全社で使える環境を整えても、従業員が使いこなせるかどうかは個人の習熟度に左右される。顧客支援の質とスピード向上のために生成AIを導入したテレシーも同様の課題を抱えていた。
運用型テレビCMを中心にマーケティング支援を手掛ける広告代理店テレシーの吉濱正太郎氏(代表取締役 COO)は、広告業界では担当者個人の力量が顧客支援の質を左右しやすいと語る。
生成AIを使えば、従業員一人一人の生産性を高められる。だが、AIを使いこなせる従業員とそうでない従業員の間で、業務の質や成果に差が生まれる可能性もある。AI活用を推進した結果、かえって顧客支援の質に差が広がっては意味がない。そこで同社は、(1)人材育成と(2)情報基盤の整備を両輪に、AIの全社活用を推進した。
(1)人材育成では、全正社員に「生成AIパスポート」の取得を義務付け、AIの基礎知識や利用上のリスクを学ぶ機会を設けた。(2)情報基盤の整備では、社内情報を「Notion」に集約。蓄積した情報を「Notion AI」で検索・分析し、日々の業務に生かす環境を整えた。
これらの取り組みによって、商談前の準備時間を3~4時間短縮した。現在は約20のAIエージェントも稼働させ、業務プロセスの自動化を進めているという。
従業員間のAI格差をなくすには?
全社でAI活用を推進するに当たって特に注意したいのは、セキュリティリスクだ。AIの利用率向上とセキュリティを両立させるために、同社がまず向き合ったのが従業員間の知識の差だった。
従業員にヒアリングしたところ、AIの利用率が低い従業員からは「使い方が分からない」という声が上がり、リスクが怖くて使えていない従業員もいたという。一方で、AI利用に伴うリスクを十分に認識していない従業員もいた。
AI活用を全社で推進するために同社が重視したのは、特定の従業員だけでなく、全従業員が共通の知識を持つことだった。
そこで、同社は生成AI活用普及協会(GUGA)の生成AIパスポートの取得を全正社員に義務付けた。基礎知識や利用方法に加えて情報漏えいや権利侵害といった注意点についても扱う資格で、使い方とリスクの両方を学べる。
希望者だけの取得では従業員間の知識や習熟度に差が残るため、取得率100%を目標にした。研修の受講ではなく資格取得にこだわったのは、安心できるパートナーだと顧客に示す狙いに加え、従業員に主体的に学んでもらうためだ。
「研修だと受け身の姿勢になりやすいのですが、資格取得となると攻めの姿勢で学ばなければなりません。私自身も資格を取得しましたが、インプットの量も姿勢も違ったと思います」(吉濱氏)
AIの基礎知識は職種を問わず必要となる汎用(はんよう)的なスキルと捉え、取得にかかる受験料や参考書の費用は会社が負担した。従業員の能力向上に向けた投資と位置付けたためだ。業務時間中の学習も認め、苦手意識のあるメンバーはチームで助ける動きが自然に生まれた。2026年8月時点で全正社員が資格を保有しているという。
資格取得によって、従業員は生成AIの利用に迷ったときに自ら必要な情報を確認して判断できるようになった。社内ルールも体系的な知識に裏付けられ、全社で共通の判断基準として機能している。吉濱氏は、こうした知識の習得によってAI利用への心理的なハードルが下がったことも成果の一つに挙げる。
Notion AIで分析業務を3~4時間短縮 業務プロセスの変革にも着手
AIスキルの底上げの次に取り組んだのが、AIを実務で活用するための情報基盤の整備だ。AIの知識を身に付けても、それを日々の業務に生かせる環境がなければ、十分な成果にはつながらない。そこで同社は、社内情報の集約と活用を進めた。
従来、同社の情報は親会社のCARTA HOLDINGSが用意した「Google Workspace」と、テレシー各部門の領域に分散していた。情報が一元管理されておらず、従業員へのヒアリングでも、必要な情報を探すのに時間がかかるという課題が挙がっていた。
そこでナレッジを1カ所にまとめる基盤としてNotionを導入した。ファイルストレージには引き続き「Google ドライブ」を使い、情報の開示レベルに応じて置き場所を使い分けている。
Notionの導入によって情報の探し方も変わった。以前は「あの情報はどこ?」と人に尋ねていたが、現在はNotion AIで必要な情報を検索して、その内容を基に相談や議論を進めるようになった。
特にNotion AIの活用効果が表れた業務の一つが、同社が「0次分析」と呼ぶ商談前のリサーチだ。IR情報などの公開情報とテレシーが持つ顧客情報を統合して、顧客の課題や競合の状況を分析する。仮説を持って商談に臨む材料をそろえるための重要な業務だ。これまでは調査に3~4時間かかっていたが、Notion AIを使ってすぐに分析結果を得られるようになった。
情報収集に時間を取られるほど、分析や仮説の検討に充てる時間は限られる。AIが収集して分析した情報を基に、人が考える時間を確保できるようになった点が大きいと吉濱氏は述べる。
CARTA HOLDINGSの方針で、全従業員が「Gemini」を利用できる環境にある。さらに、高度な作業には「Claude」、開発業務には「Claude Code」、クリエイティブ業務にはAdobeのAIツールを使うなど、用途や職種に応じて活用するツールを使い分けている。いずれもセキュリティリスクを含めて審査した上で利用を認めている。
Notion AIとGeminiの使い分けは従業員に委ねているが、吉濱氏は「社内のナレッジを参照できる分、Notion AIの方が反応は良い」と感じているという。
AIエージェントによる業務の自動化も進めており、現在は約20のエージェントが稼働している。あらかじめ設定した条件に応じて業務を実行する仕組みで、情報収集や要約の他、社内申請などのバックオフィス業務にも活用している。
エージェントを開発するのは各部署だという。どの業務をAIエージェントに任せ、どのような情報を与えればよいかは、実務を熟知する担当者が最もよく理解しているためだ。ツールの選定や技術的な課題、全社的なエージェントの管理は、自社製品の開発と社内インフラを担うエンジニアが支えている。
全てのAIエージェントは、稼働するたびに実行内容がSlackに通知される仕組みになっている。この仕組みも社内エンジニアが協働して構築した。
議事録作成を奪われた若手は何で育つ? AI時代の人材戦略
AI活用による業務効率化が進む一方、新たな課題も見えてきた。吉濱氏が懸念するのは、特に若手従業員がAIの出力に影響され、自分自身で考える機会や力を失ってしまうことだ。
AIを使って業務を進めた結果、アウトプットが当初の目的からそれていることに気付けなかったり、特筆すべき点がない内容になったりすることがある。
「従来若手が担当してきた議事録作成は、確かに面倒で時間がかかる業務でした。ですが、先輩や上長に『この情報が抜けているよ』『このようにまとめるといいよ』などとアドバイスを受けながら情報整理のノウハウを学べる『育成の仕組み』でもありました。情報を整理してアウトプットするスキルは、ビジネスパーソンとしても重要な能力の一つですよね。今は議事録をAIがまとめてくれるようになりました。既にスキルを持っている層からすればハッピーな話ですが、若手が学ぶ機会が減ってしまったことも事実です」
同社はAIの導入以前から「目的を設定する力」の育成を重視し、論理的思考や言語化を学ぶ研修に力を入れてきた。こうした能力の重要性は、AI時代にますます高まっていくと吉濱氏は分析する。AIからより良いアウトプットを得るためには、AIを使う人間が目的を正しく設定して言語化し、論理的に指示を出す必要があるからだ。
そして、AIの出力した内容を疑い判断する力を身に付けるためには、自分で考えて仮説を持つ力を養う必要がある。こうした能力の育成がAI時代の人材戦略における課題になるだろう。
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