板金加工や油圧機器の分野で約60年の歴史を持つ今野製作所は、2008年のリーマンショックで受注数が大幅に落ち込んだ。これを機に、個別生産にまつわる複雑な業務プロセスを見直し、自力で開発した生産管理システムにより業務を合理化することで生産性を大きく向上させ、2019年には過去最大の収益を上げるV字回復を果たした。開発エンジニアもスキルもない町工場が、なぜここまでできたのか。業績回復に至るIT整備の道筋を取材した。
今野製作所は、1970年代に世界レベルで普及したイーグル油圧爪付きジャッキを開発する東京の下町工場だ。1961年に東京都の足立区で初代社長が板金加工業者として創業、後に油圧機器製造事業で成長し、福島県に工場を、大阪に営業所を設置するまでになり、全国に事業を拡大した。
そして1996年に今野浩好氏(同社現代表取締役)が入社、以降「伝票発行機」と化していた旧式オフコンをリプレースし、販売管理のパッケージシステムを導入したりメール環境を整えたりするなど社内のIT化を推進してきた。
そんな同社に創業以来の大ピンチが訪れたのは2008年のこと。リーマンショックにより受注が前年比43%に激減、売り上げも6億3400万円から3億5900万円へと急落した。当時の従業員数は32人。最低限の人数で会社を運営していたため、人員をこれ以上削減するわけにもいかなかった。
2003年に今野製作所の2代目代表取締役に就任した今野氏は「人員整理はしない、今のメンバーで乗り越えていく」と宣言し、全社を上げてこの苦境を乗り切ることを決めた。
考えた戦略の一つが特注品の受注強化だ。それぞれの要望に応じたオーダーメイドの油圧機器を提供することで、顧客満足度を高めようと考えた。たとえ発注数が小ロットであろうと、顧客の要望をくみ取り個別に設計する。板金加工品も同様だ。Webサイトからの注文を可能にし、アフターサポートも充実させ顧客創造に心血を注いだ。こうした真摯(しんし)な取り組みが徐々に受注に結び付き、研究機関などの新規顧客も増えていった。ただ売り上げはなかなか伸びず、設計現場の負荷だけが増え、担当スタッフは疲弊していった。製造現場では遅延が発生し、間接部門でも情報待ちや処理遅れが多発するようになった。
もともと多品種少量生産を得意としていたが、繰り返し受注を基本にした生産と、新規顧客の個別注文に応える生産とでは複雑さの度合いが違っていた。それでも生き残りの道はカスタム製造の強化しかない。設計、製造をはじめ業務の全ての生産性向上が焦眉の急となった。
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