2023年度から、有価証券報告書に人的資本の開示が義務付けられる方針だ。開示すべき人的資本情報や開示の方法、投資家に高評価を受けるテクニカルなポイントを解説する。
2023年度から有価証券報告書に「人的資本の開示」を盛り込むことを義務付ける方針が公表された。上場企業はこれにどう対応すればよいのか。HRテクノロジーコンソーシアムの代表理事、香川憲昭氏が語った。
上場企業の企業価値は、投資家にとってお金を注ぎ込む値打ちがあるかどうかを判断するための重要情報をどれだけ詳しく開示するかによって大きく変わる。かつては財務情報が判断基準だったが、近年は世界的に評価の視点がESG(環境・社会・ガバナンス)をはじめとする非財務情報にシフトしてきた。
これに対応し米国証券取引委員会(SEC)は、上場企業に人的資本の開示を2020年11月に義務付けた。日本でも金融庁が2023年度に人的資本に関する情報を有価証券報告書に記載することを義務付ける方針を示しており、上場企業は開示に迫られると予想される。
2022年8月30日に内閣官房が公表した「人的資本可視化指針」によると、開示すべき事項は「価値向上」と「リスク」の両面を含む。
開示項目の例としては、図1のような19項目が示された。
ただし、19項目全ての開示が求められるのではなく、当面は報告書に記載可能な項目、あるいは重点的に取り組んでいる項目を選んで開示していくことになるだろう。
香川氏は「法体系の観点および企業価値向上につなげるための観点から社内の議論をスタートすべき」と話した。重要ポイントとして「金融商品取引法に基づき上場企業が提出する有価証券報告書には、必ず人的資本を開示しなければならない」と語る。
金融商品取引法では、投資判断を誤らせないように各企業の決算後の状況をまとめた有価証券報告書を作成することを義務付けている。これまでは連結財務諸表や主要な経営指標などの推移といった財務情報に加え、事業などのリスク、M&A、コーポレート・ガバナンスなどの非財務情報の記載が求められていた。
今後の法改正ではそれらに加えて、「非財務情報であっても重要な情報」として人的資本情報の記載が義務化される。もし違反すると「最長10年の禁錮または1000万円の罰金が課せられる」という、強い法的な強制力がある。
また香川氏は「財務的な情報に加えて、非財務情報であっても重要な情報として開示が必要になる」と続ける。
これまで企業が自発的に開示(任意開示)してきた非財務情報がより重視される。例えば、企業によって統合報告書やアニュアルレポート、CSR報告書、サステナビリティ報告書、中期経営計画など、未来の企業経営状況を予想できるような知的財産・社会的責任・ガバナンスへの取り組みといった非財務情報を開示しているが、このような任意開示情報の中に重要な情報として人的資本情報が位置付けられている。
「米国では2020年8月に人的資本情報の任意開示がスタートし、ヨーロッパは強制力を伴う法定開示のアプローチで取り組んでいます。日本ではこのたび政府が法と任意の両面で、投資家およびマルチステークホルダーへの人的資本の開示が必要だと示し、実質的にルール化しました。非常に強い規制強化と感じています」(香川氏)
香川氏は有価証券報告書における開示義務化された項目として「人的資本」と「多様性」を挙げた。
人的資本には人材育成方針や社内環境整備の情報などが含まれる。多様性には女性管理職比率や男性の育児休業取得率、男女間の賃金格差などが含まれる。原則として連結ベースの開示が求められる。
任意開示項目に関して香川氏は「ESGのS(Social:社会)の記述に厚みを増せばよいのではなく、将来的には他の報告書類と別に、ある程度の厚みをもった冊子として『人的資本レポート』を開示する方向に向かうと予想しています。人的資本は投資家からの開示圧力が高い、非常に重要なテーマになっているからです。例えばドイツ銀行では58ページに及ぶレポートを開示しているほどです。世界の投資家は人的資本を重視しています」と話した。
さらに国内企業の動きを「2023年には統合報告書の内容として2、3ページだったものを10ページくらいにする企業が出てくるでしょう。それにとどまらず、『人的資本レポート』を2024年には出せるように準備をする、開示に積極的な企業が増えていくでしょう」と予想する。
人的資本レポートの作成などは任意であるため、開示主体企業が(作成の)負荷が高いと思えば作成しない、という選択もありうる。しかし香川氏は「開示しないと、ESGに関心ある投資家などから、取り組みに熱心ではないとみなされ、投資対象から外される可能性が高くなります。これを私の造語で『Die-vestment(Divestmentのもじり)』と言っていますが、結果的に時価総額を上げることが難しくなります」と警告した。さらに同氏は続ける。
「金商法改正自体は企業の経済活動に対する規制強化ですが、今回の法令改正はそれにとどまらず、日本社会が抱える社会課題解決につながるルール改正となっています。これまでは財務情報を有価証券報告書で報告すればよかった状況から一変し、少子高齢化や男女共同参画などの社会課題への企業の取組みを含む非財務情報の開示充実が新しい常識になっていきます」(香川氏)
経済的な持続可能性のために金融商品取引法や東証規則があるが、その他に経済界の枠を超えて多様性を広げる女性活躍推進法や育児介護休業法、労働施策総合推進法、次世代育成支援対策推進法がある。
企業は、経済的な持続可能性の指標としての売上高や営業利益に加え、持続可能な社会実現のための指標として多様性と人的資本について成果指標を設定し、双方の達成を追求することが重要になる。
では人的資本の開示のテクニカルな面でのポイントは何だろうか。香川氏は「重要なポイントは、数値を使ってレポートできるかどうかです。投資家に向けた開示で数値は高い説得力があります」と指摘した。
「投資家は企業価値の持続的向上が見込める投資先を選びます。投資対象として選ばれることが投資を受ける必要条件で、その条件を満たすためには、投資家が投資先を選別するモノサシである判断基準を理解することが必要です。モノサシとして、多様性や人材育成方針などの人的資本可視化指針の例示項目に示されているような項目があります。どこに一番の力点を置いて取り組みをしていくのか数字で表現する必要があります」(香川氏)
香川氏は投資家視点を知るキーワードとして「独自性」と「比較可能性」の2つを挙げた。
独自性とは、経営戦略のオリジナリティーのことだ。市場環境と競争環境という外部環境において、自社固有の経営戦略・人材戦略が他社と違う独自性をもっていることをアピールできなくてはいけない。19の例示項目全てに対応するよりは、自社の独自性のある部分だけにとどめて例えば5項目しか触れなくても、独自性のある開示内容に仕立て上げれば、投資家は評価する。
比較可能性とは、投資の比較対象となる競合他社に対して、数値で示される指標によって比較できるかということだ。例えば、ISO 30414(人的資本に関する開示のガイドライン)には次のような指標が挙げられている。
こうした項目を最低限カバーしていれば「投資判断で足切りされない可能性が高い」と香川氏は言う。逆に記載がないと、投資検討の土俵に乗れない可能性もあると指摘する。
「フィギュアスケートで言えば、比較可能性がある開示項目は『技術点』で、規定に沿って厳格に採点されます。一方、独自性は『演技構成点』で、表現力が採点されます。その両方が組み合わされて評価の高い開示になります」(香川氏)
香川氏は開示の進め方について次のような予想をしている。これは開示準備企業へのアドバイスとして理解しておくとよいだろう。
まず「比較可能性がある指標を中心に、範囲と深さを含めてしっかりとボリュームのある報告書とする」ということを挙げた。
また、経営戦略と人材戦略をひもづけたナラティブなストーリーを組み上げ、統合報告書における最低限の記述量を10ページとすると投資家の目に止まりやすい。先行する米国ではボリュームが年々増えていく傾向があり、初年度の文章量に対して30〜50%増とする企業が大半である。日本では2023年から24年にこの第1ステージの「量」の戦いからスタートし、人的資本の開示内容の競争が本格化する。
次に、「独自性のあるシフトチェンジをアピールする」を挙げた。
企業競争ではDX(デジタルトランスフォーメーション)が進み、経営戦略を突き動かし、人事戦略の大きなシフトチェンジにつながってる。独自性のあるうシフトチェンジをアピールできる材料をそろえることが第2ステージの競争になる。2024〜25年は「質」の戦いとなる。
このような人的資本の開示内容の競争が始まるのが2024年だ。今回は実務的な切り口での解説となったが、経営者を巻き込んだ社内議論を今から活発化させていく必要がある。
※本記事は2022年10月31日のHRテクノロジーコンソーシアムのWebセミナーを基に編集部で再構成したものだ。
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