「あのお宅のご老人、最近外で見掛けないけど大丈夫かしら」などと心配してくれるご近所の代わりをIoTデバイスが務める地域の見守りシステムが誕生しそうだ。Wi-SUNとWi-Fiなどを組み合わせた「データの地産地消」により、高齢者見守りなどを低コストに適時実施できるようにするのが「すれ違いIoT通信」。一体どのような仕組みなのか。同技術を開発した国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)に取材した。
携帯電話網(4G、5G)やインターネットが使えない地域でも、家屋に設置された通信機器と、地域を巡回する車両などに搭載した通信機器との間、あるいは車両間で無線による情報通信を実現するのが「すれ違いIoT通信」だ。
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)ソーシャルICTシステム研究室(室長:荘司洋三)は、特に地域で発生する消費期限の短いデータは、クラウドやインターネットを介さずに地域の課題解決に意欲のある地域住民やコミュニティー間で迅速に共有、活用することが、地域の課題解決に有効だとし、「データの地産地消」をコンセプトとした技術開発を以前より行ってきた。そのコンセプトに基づいて開発された「すれ違いIoT無線ルーター」を使った社会福祉サービスの実証実験が、2019年10月から約3カ月間実施される予定だ。
実証実験は、NICT、社会福祉法人黒部市社会福祉協議会、日新システムズの3社共同で実施される。実証の目的は、地域在住の高齢者の見守りと情報配布に「すれ違いIoT通信」などの情報通信技術が効果的に活用できるかどうかの検証。これが「すれ違いIoT通信」の1つの典型的なユースケースとなる。
(1)玄関ドアの開閉回数から異常を検知
社会的孤立や体調悪化などの住民生活の異変やその兆候を外部から発見するのは難しく、多くは福祉組織の訪問支援活動に頼らなければならない。しかし日毎に、地域全域の見守り対象家庭を訪ねることは負担が大きい。そこで、玄関ドアの開閉回数に注目し、あまりに開閉回数が少ない家庭には何かの異変が起きていると推定して、対象を絞って訪問支援することが考えられた。開閉回数は加速度センサーで感知でき、簡単な処理機能を備えたセンサーデバイス内蔵の通信モジュールから「正常」あるいは「要注意」を示す信号を無線で送ればよい。
一般的には無線通信に携帯電話網やLPWA(Low Power Wide Area)を使い、センサーデータは基地局を介してクラウドに送って処理し、福祉組織などに通報するという流れが考えられる。しかし、今回はLPWAを採用しなかった。それはなぜか。
LPWAを使用する場合は通信料金もクラウド利用料金もかかり、地域内経済に寄与するところが小さい。地域内の課題を積極的に解決しようと考えるのは同じ地域内の人であり、データの発生から利活用、課題解決までが地域内に閉じることでコストを抑え、地域経済への貢献も可能になる。こうした背景から、インターネットや携帯電話網を利用できないことを想定した。実際、高齢者のみの家庭では携帯電話やスマートフォンを持たない場合も多く、インターネットもうまくつかいこなせない場合が多いのが実情だ。
実証では、玄関ドアに小型の開閉センサーデバイス(図1)を取り付け、開閉回数に応じた信号を定期的に発信するようにした。デバイス内にはWi-SUNモジュール(後述)が搭載されており、「正常」「要注意」の2種のビーコン信号を送信する。このデバイスは定期発信の間隔にもよるが、10秒間隔発信の場合にはボタン電池で1年程度稼働可能だ。
(2)宅内設置の「すれ違いIoT無線ルーター」が信号を中継、外部に送信
ビーコン信号を受け取るのは、見守り対象家庭の宅内に設置された「すれ違いIoT無線ルーター」(図2)だ。家庭用のコンセントから給電するこの専用ルーターは、屋外に向けてビーコン信号を中継送信する。
(3)地域内を走行する車両に搭載した「すれ違いIoT無線ルーター」が情報をキャッチ・転送
屋外に向けて送信された信号をキャッチするのは、地域内を走行する車両に搭載したすれ違いIoT無線ルーターだ。これは宅内設置用と同じもので、シガーソケットからの給電で動作し、車両のフロントガラスに邪魔にならないように設置できる。
これを搭載する車両として、実証では社会福祉協会の業務用バスおよび車両を利用するが、その他地域のごみ収集車、バス、タクシー、配達用の車両やバイクなど、地域をよく走行する車両が全て対象になる。黒部市の実証では、地域のごみ収集事業者である黒部クリーンが地域の課題解決に貢献するために、保有するごみ収集トラックや事業用軽車両を提供し本実証実験に参画する予定だ。
社会福祉協議会の車両であれば、「要注意」信号を検知したらすぐに見守り対象者宅を訪問できる。その他の車両では、いったん情報をルーター内に記録し、他の搭載車両に近づいたときに、すれ違いざまに情報を転送可能だ。
また、Wi-SUNには端末間で自律的に情報を転送するマルチホップ機能があるため、離れた場所にある車両のすれ違いIoT無線ルーターがバケツリレー式に情報を転送して、遠方まで情報伝達できる。そのまま社会福祉協議会まで伝達することもできるし、マルチホップの途上でインターネット接続している車両に届けば、その時点でインターネットを経由して社会福祉協議会に伝達することも可能だ。つまり、社会福祉協議会の仕事とは関わりがない民間の車両でも、すれ違いIoT無線ルーターさえ搭載していれば、それと意識せずとも見守り活動の一翼を担うことになる。地域企業や住民の協力が得られれば、地域ぐるみのネットワークで安心・安全な環境を整えられる。
もう1つの実証のポイントは、電子回覧板などのコンテンツを対象家庭に届けることだ。すれ違いIoT無線ルーターには、Wi-SUNの他に、Wi-Fiモジュール、BLEモジュールも搭載されており、大容量データもWi-Fiの高速性を利用して、「宅配」が可能だ。実証では、希望対象者にタブレットタイプのモニターつき情報表示デバイスを配布し、配信コンテンツを閲覧できるようにする。
宅内設置のすれ違いIoT無線ルーターから「電子回覧板配信希望」の信号を送信すると、上記と同様の仕組みで遠方にいる車両までその情報が届く。電子回覧板コンテンツを事前にダウンロードしている社会福祉協議会などの車両がその信号をキャッチすることで、電子回覧板の配信を希望する家庭の場所が分かり、さらにナビゲーション画面に従って車両を意図的に希望家庭のすぐ近くまで向かわせられる。
電子回覧板を無線で安定配信できるエリアまで近接すると「停車」を促す通知画面が表示され、停止した状態(コンテンツのファイルサイズ次第だが10秒から数十秒程度を見込む)でWi-Fi経由でコンテンツを送信する。送信が終わると「発車」を促す。宅内では宅内設置のすれ違いIoT無線ルーター経由で表示デバイスにコンテンツが送られ、閲覧可能になる。
実証ではWi-Fiによる配信が効率的にできるかが検証されるが、実際にはWi-SUNを利用してメッセージの表示や軽いPDFの配信程度なら、車両走行中でも配信できる可能性がある。Wi-Fiを利用する場合はどうしても停車する必要があるが、その代わり、もっとリッチなコンテンツ、例えばビデオメッセージや映画配信なども配信できると考えられている。対象者がインターネット契約をしていなくとも、ビデオ・オン・デマンドのようなエンターテインメントコンテンツを提供できる可能性がある。
なお、この実証とともに、高齢者が移動や買い物などに関する相談をしたい場合に、専用カードを専用情報受発信デバイスにかざせば、簡単に依頼内容を発信できるサービスの実験も行われる。これも高齢者の社会とのつながりの低下状況を把握する情報となる。図4に実証実験の全体像を示す。
NICTが開発した「すれ違いIoT無線ルーター」には、Wi-SUNをベースにした独自のすれ違い通信機能が備えられている他、Wi-FiとBLE4.0の通信モジュールが内蔵されている。Linux OSを搭載しており、データの送受信通知や保存されているコンテンツなどをWi-Fiの通信機能を介して外部から容易に取得するためのWeb APIも備える。
なお、なぜWi-SUNを利用しているのかは気になるところだ。もちろんWi-SUN仕様策定をリードしてきたのがNICTだという理由もあるのだろうが、他のLPWAと異なる特長が幾つもある。
1つは基地局がいらないことだ。携帯電話網でもカバーしきれていない山間部などはまだまだ少なくない。災害や大規模停電時にこれら基地局が機能しなくなることも想定される。Sigfoxのような既設基地局を必須とするLPWAも同様だ。LoRaWANなどのLPWAでは基地局を自前で設置するが、これにはコストがかかる。
また最大100kbpsなど(チャネル間隔のモードによる)という比較的広帯域(高速)で通信できるのもWi-SUNの特長だ。さらに、920MHz帯という比較的低い周波数帯を利用できるので、電波が遠くまで届きやすく、回折性もある(見通し外でも数百メートルの伝達が可能)。またマルチホップ機能があり、数回のホップで数キロ先まで情報を伝達できて、地域をメッシュで面的にカバーできるところも他方式に比べて優れている。(ただし今回のケースでは、「データの地産地消」の観点から、扱う情報ごとに情報発生源からの最大到達距離と最大到達時間の設定を可能にし、利用価値の低い情報が遠方のデバイスまで伝搬されない仕組みとした。)
加えて、デバイスが低コストにできる可能性が高いことも、Wi-SUNを採用した要因だ。Wi-SUNデバイスは既に4000万台が出荷されている。主に「Bルート」と呼ばれるHEMSコントローラーと電力スマートメーターを結ぶ無線通信、「Aルート」と呼ばれる近隣の電力スマートメーター間をマルチホップでつなぎ、各家庭の電力検針データを電力会社まで転送するための無線通信に採用されており、国内のスマートメーター設置世帯約7800万世帯の多くがWi-SUNを利用していると想定できる。スマートメーターは今後も普及することが見込まれており、Wi-SUNモジュールの量産効果によって低コスト化が期待できる。
また、Wi-SUNは物理層とMAC層はどんな場合も共通だが、上位層は用途によって異なる仕様(プロファイルと呼ばれる)が載せられる。もしスマートメーター搭載のWi-SUNモジュールに「すれ違いIoT通信」のインタフェースやアプリケーションが載せられれば、スマートメーターそのものが見守り機能などを担うことができるかもしれない。
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