県庁DXを推進する三重県庁は、メールや電話によるアナログなコミュニケーションからの脱却のために全庁への「Slack」の導入を計画した。まずは限られた部署で試験的に導入を始めたが、解決すべき自治体ならではの課題があった。
行政ニーズの多様化や課題の複雑化が進む中で、デジタルツールを活用した課題解決や持続的な行政運営を目的として、三重県では2021年度から県庁DXを推進する。2022年度には「クラウドシフト」「ゼロトラスト」「データドリブン」の3つの取り組みを柱にした「DX推進基盤整備計画」を開始し、2027年度まで取り組む意向だ。
徹底的な業務効率化と生産性の向上を掲げたDX推進基盤整備計画では、「クラウドシフトによるコミュニケーションの活性化」が取り組むべき項目の一つとして挙げられた。同庁が目指すのは、メールや電話に頼ったコミュニケーションから脱却し、より効率的かつ柔軟で、オープンなコラボレーションを実現することだ。その手段として「Slack」を選び、2023年中に全庁への導入を目指す。
三重県庁の岡本 悟氏(総務部 デジタル推進局 デジタル改革推進課 副課長)に直接取材をし、Slackの全庁導入までの過程とその間に生じた課題について話を聞いた。
DX推進基盤整備計画を推進するきっかけとなったのが、2020年に訪れたコロナ禍だ。出張はおろか、庁舎での勤務も大きな制限を受け、関係事業者との面会もできない状況に陥り、業務環境に大きな制約が課せられた。岡本氏は「2020年は何とか乗り切りましたが、2021年5月には『新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置』が発令され、いよいよコミュニケーション手段の見直しが求められました」と当時を振り返る。
県のCDO(Chief Digital Officer)を務めていた田中淳一氏から「これを機に試行も兼ねてチャットツールを導入してみてはどうか」との薦めを受けて、2021年8月に岡本氏らはデジタル社会推進局(現デジタル推進局)の約50人を対象にSlackの試験導入を開始した。Slackを選定した理由として、岡本氏は「CDOから薦めを受けたことと、最近、組織コミュニケーションの手段として企業などでの活用が進んでいることから、Slackを試してみることにしたのです」と語る。
とにかく時間がなく、アジャイルかつスピーディーな導入が優先されたため、SIerに頼らずに岡本氏らが主導しながらぶっつけ本番で試験導入を進めていった。運用面に関しては、セールスフォース・ジャパンからチャンネルの命名規則やエチケットマナーなどのアドバイスを受けながら設定を進めた。
Slackの試験導入を通して自治体ならではの解決すべき問題も見えてきた。
これまで三重県庁のネットワーク環境は他の自治体と同様にLGWAN(総合行政ネットワーク)とインターネット接続系が切り離された三層分離(αモデル)に従っていた。だが、多くのチャットツールと同様に、Slackはクラウドサービスとして提供されている。本格導入の際は、県庁内から効率的にクラウドサービスを利用できるよう庁内インフラの見直しが必須となる。
そして、試験導入直後の2021年8月27日にはついに三重県も緊急事態宣言下に入り、同局の職員は岡本氏や役職者を除く約9割が在宅勤務に移行した。同局では、業務に関するやりとりのほぼ全てをSlackに移行した。
「事業などテーマごとに必要なチャンネルを作り、全てのやりとりをSlackの中で進めることにしました。各チャンネルには誰が参加していて、どのような流れでやりとりが進んでいるのかが容易に分かるようになりました。関係する外部の事業者も、必要に応じてチャンネルに参加いただきました」(岡本氏)
Slackの試験導入によって岡本氏らが評価したポイントが「コミュニケーションの効率化」だ。
「お疲れさまです」「お世話になっております」などの儀礼的なあいさつは不要で、議論に集中できる。チャンネルに投稿すれば関係者に漏れなくメッセージが届き、メンションを付ければ特定の相手にメッセージを通知することも可能だ。メールだとCCの付け忘れが生じがちで、後からやりとりに加わったメンバーが過去のメールから経緯を把握するのは面倒だが、チャットツールならばそうした手間もない。
重要な投稿はブックマークやピン留めによっていつでも参照できる他、絵文字で応答することで、メールよりもリアクションを返しやすい。また、Slackはテキストチャットに加えて音声によるハドルミーティングも可能で、関係者とスピーディーに議論し、合意を得ることができる。
これらのメリットから、やがてSlackはデジタル社会推進局の標準のコミュニケーションツールとしてすぐに浸透した。緊急事態宣言が解除されて通常勤務に戻った後も、局内や事業者など固定化された相手とのやりとりはほぼSlackで行われ、メールの利用は不特定の相手とやりとりする場合のみとなった。Slackによってコミュニケーション効率と密度が高まったことで、対面による会議の件数は大幅に減少し、会議の時間も大幅に短縮されたという。
試験導入によってチャットツールの有効性を確認した三重県庁では、「Microsoft 365」に加えて、DX推進基盤整備計画におけるコミュニケーション基盤として、全国の自治体で初めてとなるSlackの全庁導入を決め、2023年中には現場への導入を果たす予定だ。
課題となっていたネットワークについては、三層分離の方式を従来のαモデルから、業務端末や庁内システムの大部分をインターネット接続系に移動させるβ’モデルに変更することとし、2023年3月に庁内インフラを整備した。
「計画では2023年5月末に運用を開始する予定でしたが、正規職員や会計年度任用職員(非正規職員)など全ての職員が一斉に利用を始められるよう、現在、全端末の稼働環境を確保している最中で、運用の開始までもう少し時間がかかる見込みです。ITリテラシーは人によって千差万別で、中にはデジタルツールで庁内コミュニケーションが大きく変わることに不安を覚える職員もいるでしょう。そこで、職員全員に安心して利用してもらえるよう『ステップアップ・チャレンジ』と題した企画を立ち上げ、第1弾となる『コミュニケーション活性化プロジェクト」を始めました。『まずはだまされたと思ってSlackを使ってみてほしい』と、利用ガイドを作成して、本番運用に向けてSlackの活用を促しています」(岡本氏)
三重県庁は、県庁DXにおける重点項目の一つに「デジタルコミュニケーションの促進」を掲げ、その中心的なツールにSlackを位置付けている。
Slackを核にして、職員間での柔軟なコミュニケーションの実現と外部関係者とのコラボレーションの強化、Microsoft 365や「Zoomミーティング」(以下、Zoom)など各種コミュニケーションツールとの連携を図り、コミュニケーションの活性化と業務効率化の向上を目指している。
職員間のコミュニケーションに関して、岡本氏は「オープンなコラボレーションの促進」に力を入れたいとし、その理由を次のように語る。
「県庁は防災や医療、公共インフラなど担当業務が多岐にわたる組織の集合体です。秘匿情報も多いため、Slackでのコミュニケーションの多くは組織ごとでプライベート化されるでしょう。しかし、われわれはSlackの特性を生かしてオープンなパブリックチャンネルを増やし、組織を横断した意見交換や情報共有、新たなアイデアの創出を積極的に促していきたいと考えています」(岡本氏)
Microsoft 365やZoomなどと連携すれば、メールや予定表の受信確認、ファイルの共有、さらにはZoomによるWeb会議もSlackから参加可能になる。また、「ChatGPT」に代表される生成AIを組み込んだ「Slack GPT」も発表されるなど、今後、Slackのさらなる機能の高度化が期待される。岡本氏は「今後の発展性を持つSlackを職員自らが積極的に使う中で、さまざまな活用アイデアが湧いてくるでしょう。県庁DXの推進とともに、それらを積極的にサポートすることが私たちの役目です」と語る。
さらに、職員がどこにいてもリアルタイムなコミュニケーションが可能になることから、災害対応や緊急時の情報共有などにもSlackを活用できるのではと考えている。そのためにはBYOD(個人端末の利用)の全面導入が必要となり、岡本氏は「BYODの導入に向けて、技術面、制度面における調整を積極的に行っていきたい」と語る。
最後に岡本氏は「Slackの活用法や成果を共有しながら、徐々に仲間を増やしていきたいですね。他の自治体とも連係してより良い活用方法を模索しながら、共に自治体業務の効率化やサービスの向上を目指すのが理想です」と今後の展望を語った。
注:2023年3月7日にセールスフォース・ジャパンは、三重県庁が全国の自治体で初めてSlackを導入したと発表した。本稿は、その発表に基づくもの。
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