AIエージェントは、リソース不足に悩む中堅・中小企業にこそ武器になる。SalesforceのAIエージェントプラットフォーム「Agentforce」を活用して資産運用セミナー「キャピタルハック」の顧客体験を刷新した急成長ベンチャーTAPPの事例を紹介する。
深刻な人手不足、高まる競争圧力、そして顧客からの期待値上昇――。中堅・中小企業(以下、SMB)を取り巻くビジネス環境は厳しさを増している。
限られたリソースで成果を上げ続けるため、多くのSMBが活路を見いだしているのがAIの活用だ。しかし、データが社内で点在していたり、企業情報の流出リスクへの不安があったりと、AI導入の障壁は依然として高い。
本稿ではSalesforce日本法人のセールスフォース・ジャパンが2026年3月31日に開催した記者向けの説明会の内容を基に、SMBにおけるAI活用の可能性について紹介する。
セールスフォース・ジャパン常務執行役員の西田晶子氏(コマーシャル営業統括 グロースビジネス第2営業統括本部 統括本部長)は、同社が2025年1月に公開した「中堅・中小企業向けトレンドレポート」(第6版)日本語版から、「日本の中堅・中小企業の59%が、信頼できるベンダーのテクノロジーに追加投資する意向を示している」という調査結果を紹介した。同レポートは、AIを導入している中小企業リーダーの78%が「AIは自社にとってゲームチェンジャー(変革の原動力)になる」と回答していることも明らかにしている。
従来の大規模なIT投資と異なり、AI活用はスモールスタートに適しており、いろいろな業務の一部を切り取って試行錯誤を繰り返しながら進められる。また、改善効果を可視化しやすく、シンプルな業務プロセスで成功を横展開できる。これらの特徴はSMBにとって大きなメリットとなる。
「日本は人口減社会。人材採用が難しくなっていることもあり、スタートアップやSMBこそ、自律型のAIエージェントを育て活用することに取り組むことで恩恵を受けられる」(西田氏)
投資用不動産の販売・コンサルティング事業を展開するTAPPは、創業9期で売上高313億円を達成した急成長ベンチャーだ。創業時の2016年にはわずか6人だった従業員は現在194人と、組織規模は32倍に拡大している。
同社取締役の乾晋也氏は成功の要因について「テクノロジーを最大限に活用して独自のビジネスモデルを確立してきたこと」を挙げている。具体的には、投資初心者向けの資産形成セミナー「キャピタルハック」を運営し、これを起点に「The Model」型の営業プロセスを採用しているのだ。このプロセスでは、マーケティング部門による集客からインサイドセールス部門による参加者ニーズの深掘り、フィールドセールス部門による意思決定支援まで、各部門が統合されたデータに基づき連携する。
「いかに多く、早く売るか」という旧態依然とした業界の常識から脱却して営業活動を効率化したことでTAPPは急成長を遂げた。しかし、それに伴う課題も顕在化していた。セミナーの累計申込数が15万人を突破するなどリード(見込み客)が急増したことで、個別のリード対応に割かれるリソースが逼迫(ひっぱく)ししつつあったのだ。執行役員VP of Marketingの齋藤喬氏は「このままリードが増え続けていくと、対応の質が下がって顧客体験を毀損(きそん)してしまう懸念があった。そこで、AIエージェントを活用することによって、顧客体験そのものを改善しよう」と考え、Salesforceが提供する次世代のAIエージェントプラットフォーム「Agentforce」を導入した。
導入の決め手は3点ある。1点目は、もともと顧客データ基盤としてSalesforce製品を利用していたため、既存データとの連携がスムーズだったこと。2点目は、セキュリティが強固なSalesforceのデータ基盤を使うことで、データ保護と精度を両立できたこと。3点目は、ノーコード/ローコードによる開発が可能なため、開発工数を抑えて短期間で導入できたことだ。
Agentforceの導入により目指したのは、問い合わせ対応の負荷、顧客満足度の低下や投資回収への懸念といった課題の克服だ。そこで「問い合わせ数の削減」「解決率の向上」「事業の促進(具体的には次回の来場や商談)」の3つをKPIに設定した。
効果は目覚ましいものだった。リード数と比例して増加していた問い合わせは一次対応をAIエージェントに任せることでマイナス約2.7%、月間100件程度の問い合わせが削減された。セミナーの日程変更やキャンセルといった手間のかかる要望にも確実に対応できるようになり、問い合わせの解決率は90.3%に達成した。事業貢献の視点では、日程変更からの来場が月間60件程度増えた。
結果として、設定した3つのKPIを達成し、投資回収もわずか1年間で完了した。齋藤氏は成功の理由について、「AI活用のゴールを顧客体験に置いたことが大きい」と語る。人件費削減ありきではなく、人とAIで業務を分担して最高の顧客体験を提供することに注力したことが、結果的に効率化にもつながったというわけだ。
TAPPがAgentforceを最初に実装したのは2025年5月、セミナー問い合わせ対応においてだ。きっかけは現場の声だった。それ以前のセミナー運営チームは、日程変更やキャンセル、事前架電、インサイドセールスの担当者割り当てなど多岐にわたる業務を全て人力で対応しており、慢性的な人手不足状態だった。一方でマーケティングチームは集客施策を多様に展開し、申し込みは大幅に増加。問い合わせの内容も複雑化していた。実装を担当したTAPPマーケティング部の笠原祥太氏は「人がいないのにやることばかり増える、チーム間連携は不足し、ネガティブ感情が高まって現場は疲弊してしまっていた」と明かした。
そこで、問い合わせは全てAgentforceが受け付け、チャットが自動で立ち上がって日程変更ボタンを押せば会話の中で次の日程を提示するといった完全自動の仕組みを構築した。人の手を介さないこの仕組みにより、営業時間外や深夜でも即時対応が可能になり、CX(顧客体験)の改善につながったという。
AIエージェントの開発はTAPPにとって初の試みだったが、およそ1カ月でリリースにこぎ着けた。笠原氏は短期間での開発に成功した最大の要因として、Salesforceにある強力なデータ基盤を活用できたことを挙げている。「Salesforceで持っているセミナーの予約日程が検索でき、日程変更やキャンセルなど、Salesforceレコードへのフラグ反映も自動化できるので、更新漏れがなくなった。リソース不足は解消し、セミナー担当者は顧客が最初に接触する人、企業の第一印象を決める重要ポジションという、本来の役割に集中できるようになった」(笠原氏)
もっとも、このデータ基盤構築への道のりは簡単なものではなかった。笠原氏はこれに約3年間注力して取り組んできたという。取り組みは「オブジェクト・項目の設計」「入力パトロール」「データ文化の醸成」の3つに分かれる。
まずオブジェクト・項目の設計では、ムダが出ないよう、データのひも付け、関連性、将来的な拡張性、誰がいつ入力するかの運用ルールなどを細かく設定した。チェックリストを用意し、それを満たして初めて設定できる仕組みにした。
Salesforceへの入力漏れや不正のパトロールも根気よく実施した。入力不備があった場合、Slackの専用チャンネルに内容とメンションを付けて毎日通知する仕組みを構築した。メンションされた担当者は修正を行い、正しく入力されるまで通知が続く。笠原氏は「レコード1件1件の小さな修正の積み重ねがデータ基盤を支えていると実感している」と語る。
最も時間をかけたのがデータ文化の醸成、つまりデータ入力を行う営業メンバーとの関係構築だ。笠原氏自身は管理者の立場に徹し、営業メンバーを「社内エバンジェリスト」としてプロジェクトに巻き込み、虎の巻の制作や営業メンバーのサポートを一任した。これにより、「エバンジェリストが営業部の中から発信をすることで、受け取る側も納得感があって落とし込みが非常にスムーズになる」という効果が生まれた。
「Salesforceを導入したものの営業が全然入力してくれない」といった課題はどの企業にもありがちだが、最初から厳しくし過ぎると嫌われるばかりだ。「データによって意思決定をしていこう」という経営層の意思を共有し、少しずつSalesforceの良さを感じてもらうことが習慣化につながると笠原氏は言う。
問い合わせエージェント以外にも、顧客の「マイページ」に物件情報などをチャットで提供する「顧客サポートエージェント」の実装も実現した。現在は、顧客が実際に不動産を購入できるかどうかを銀行に相談するプロセスにおいての待ち時間短縮と業務効率改善を目的とした「銀行打診エージェント」の開発も進めている。笠原氏は「Agentforceは現場を支える仲間。人×Agentforceで最大成果を生み出す組織を目指す」と締めくくった。
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