人口減少や人手不足といった社会課題に直面する中、秋田県と札幌市がGoogle Workspaceと生成AIを活用し、行政DXを本格化させている。セキュリティと業務効率の両立を図りつつ、組織文化や働き方を刷新。全国の自治体に先駆けて進められるデジタル改革の最前線を追う。
2023〜2024年にかけて「Google Workspace」の自治体への導入は40%増加し、さらに2025年には223%と急速に拡大している。行政機関がGoogle Workspaceへの移行に積極的な理由は単なる利便性だけでなく、総務省が2016年に公表した「地方公共団体における情報セキュリティポリシーに関するガイドライン」の改訂が背景にある。このガイドラインはSaaSなど外部クラウドサービスの活用を認め、業務効率化を促進する方向へと転換した。
2016年に策定された「αモデル」では、自治体ネットワークを「マイナンバー利用事務系」「LGWAN(総合行政ネットワーク)接続系」「インターネット接続系」の三層に分離し、主要な業務端末はLGWAN接続系に配置する構成だった。堅牢(けんろう)なセキュリティを確保しながらも、SaaSを含むインターネットサービスの利用が制限され、業務の煩雑化を招いていた。
その後の改訂で、LGWAN接続系端末を維持しつつその他の端末をインターネット接続系に移行し、画面転送でLGWAN業務システムを利用する「βモデル」が登場した。さらに文書管理や人事給与、財務会計などマイナンバー利用事務系を除く業務システムをインターネット接続系へ移行して効率化を図る「β’モデル」、LGWAN接続系端末からローカルブレークアウトによりSaaSアクセスを許可する「α’モデル」も2024年の改訂で新たに定義された。
こうしたSaaS活用を前提としたモデルへの移行を望む自治体は増加しており、Google Workspaceの導入例は宮城県や徳島県、足利市、高崎市、下呂市、志摩市、舞鶴市、中津市、宮崎市など多数に上る。
本稿では、都道府県として初めてGoogle Workspaceを全庁導入し「α’モデル」を運用開始した秋田県と、独自ネットワーク構築で「β’モデル」を実現した札幌市の事例を紹介する。
秋田県は、都道府県として初めてGoogle Workspaceを全庁導入した自治体だ。2年前に「Chromebook」を280台導入し、Google WorkspaceのPoC(概念実証)を実施した上で5000ライセンスを契約した。また、生成AIの活用に向けて独自のガイドラインを策定し、「Gemini」や「NotebookLM」に加え、フルマネージド型生成AI開発プラットフォーム「Vertex AI」も導入した。
これらの導入の背景について、秋田県の伊藤隼人氏(企画振興部デジタル制作推進課 主査)は、「将来的な職員数の減少への対応が喫緊の課題だった」と述べる。同県は人口減少と高齢化が全国でも特に深刻であり、限られた職員数でも質の高い行政サービスを維持するため、職員一人一人の生産性向上が急務だった。また、出張先や自宅からでも業務を継続できるテレワーク環境の整備も求められた。
加えて、若手職員からは「コラボレーションツールを活用し、より効率的な業務連携と情報共有を図りたい」という要望もあった。これらの課題解決と現場のニーズを満たす最適なツール選定に際し、次の3点が重視された。
これらの要件を満たすツールを選定するため、人事課とデジタル政策推進課、行政経営課、財産活用課の4部門が連携し、新規コラボレーションツールの導入に向けたプロジェクトチームを組織した。
プロジェクトチームは約1200人の職員が参加し、3カ月間にわたってGoogle Workspaceと他社製ツールのライセンスを実際の業務で使用する大規模なPoC(概念実証)を実施した。評価に際しては、比較項目を整理した評価シートを作成し、両ツールを項目ごとに詳細に分析・評価した。
その結果、ローカル環境のオフィスソフトとの親和性や縦書き対応といった一部機能を除けば、コスト面や操作性、検索性、動作の軽快さ、導入のしやすさ、マルチデバイス対応など多くの観点でGoogle Workspaceが高い評価を得た。
さらに、将来的に「GIGAスクール構想」により学校現場で導入が進んでいる「Chromebook」やGoogle Workspaceに慣れ親しんだ若年層の職員がスムーズに業務へ移行できる点も、導入判断を後押しした。これらの総合的な評価を踏まえ、秋田県はGoogle Workspaceの全庁導入を決定した。
本格導入以降、秋田県庁内の業務は急速に変革を遂げている。
まず、庁内のPCだけでなく、職員個人のタブレットやスマートフォンからも業務環境にアクセス可能なBYOD(Bring Your Own Device)環境が整備された。伊藤氏は「全ての業務がWebブラウザで完結し、スペックの低いPCでも問題なく業務が遂行できる」点を評価する。
また、従来は対面かつ紙資料が原則であった会議運営も、Web会議と対面会議を組み合わせたハイブリッド形式に移行し、ペーパーレス化が大きく進展した。加えて、固定電話中心だった業務連絡はチャットを中心とする非同期およびテキストベースのコミュニケーションへと変わり、情報共有のスピードと柔軟性が向上した。
これらの変化によって働き方は一層柔軟になり、業務効率の向上とともに印刷費や交通費といった付随的な経費の削減にもつながった。結果として、ツールの導入および運用コスト以外の間接的なコスト削減も実現できた。
気になるセキュリティ面については、前述したα’モデルに対応した。図2に示される通り、Googleが提供する各種サービスを中心としたネットワーク分離構成により、総務省ガイドラインが求める全てのセキュリティ対策要件をクリアしている。
これにより、インターネット接続系とLGWAN接続系の安全な分離を維持しながらも、業務に必要なSaaSの活用を可能とする環境が整備され、自治体業務におけるクラウド活用の先進的なモデルケースとなっている。
秋田県では、2025年4月に新知事として鈴木健太氏が就任し、行政DXの推進に積極的に取り組んでいる。人口減少や高齢化といった日本の社会課題の最前線に立つ同県にとって、DXは行政サービスの質を維持・向上させるために不可欠な施策だ。
また、NotebookLMやGeminiといった生成AI機能には、これまで非効率とされていた業務プロセスの改善に対する大きな期待が寄せられている。Google WorkspaceでのAI活用を前提に、生成AI活用ガイドラインも改正され、従来必要だった利用申請手続きが不要になるなど、現場での使いやすさが格段に向上した。
生成AIによる写真や動画の生成機能は、観光プロモーション動画の作成など広報活動での活用が既に進んでいる。さらに、NotebookLMによる音声記録からの議事録自動作成では、作業時間を95%削減するという顕著な効果も確認された。
秋田県は今後も、庁内の生産性向上と働き方の改善、そして最終的な住民サービスの向上を目指し、DXのさらなる推進を図る方針だ。
次に、札幌市の坪谷賢一氏(デジタル戦略推進局 情報システム部 システム調整課内部システム担当係長)がGoogle Workspaceを活用した働き方の変革について語った。
札幌市はこれまで、総務省が定義する「αモデル」に準拠した閉鎖的な庁内システムを運用してきた。だが、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大を契機に、既存の仕組みでは柔軟な働き方に対応できないことが分かり、システム運用方針を大きく転換した。オープンな環境への移行が不可欠であるとの理由から、2021年に「β’モデル」への移行を正式に決定し、そのための基本計画を策定した。
翌年からはイントラネットで「Microsoft 365」の利用を開始したもののライセンスコストが見合わず、翌年からGoogle Workspaceの導入検討を本格化させると同時に、「β’モデル」を実現するための独自ネットワーク「New Work Styleネット」(通称NEWSネット)の構築を進めた。このプロジェクトでは、インターネット利用時の安全を確保するゼロトラストアーキテクチャの実現を目指す。
2025年1月には「Google Workspace Enterprise Standard」の1万6000ライセンスを調達し、2月から先行利用部門での運用を開始した。NEWSネットは2025年5月に全庁で稼働を開始し、それと同時にGoogle Workspaceも全庁に展開された。2025年9月にはNEWSネットとGoogle Workspaceが標準的な業務環境として定着する見込みだ。
Google Workspaceの全庁導入に先立つ製品検討では、特に以下の点が有望視された。
特にコスト面では、従来のグループウェアにゼロトラストアーキテクチャ対応製品を加えた場合と比較し、5年間で30%以上のライセンスコスト削減が見込まれると試算された。
ただし、業務上どうしても従来のオフィスツールが不可欠な部門については、部門経費による利用を認める例外措置が設けられている。実際に「Office LTSC 2024」や「Excel」を単体で購入した部門もあったが、全体としてはコスト削減の範囲内に収まっているという。
Google Workspaceの利用に関しては、「NEWSネットを活用した新しい札幌市働き方ガイド」が作成され、目指すべきワークスタイルが明確に示されている。同ガイドは、最先端の業務環境構築、業務効率向上の追求、職員の意識改革、新たな組織文化の醸成という四本柱で構成されている。これにより、従来の働き方を刷新し、新しい情報環境下での働き方を実践し、創造性と自律性を尊重する組織への変革を提言している。
具体的には、デジタル文書のリアルタイム共有や共同編集、クラウドと検索ベースの情報アクセスによるペーパーレス化推進、チャットやWeb会議、クラウドストレージを活用した場所を問わない柔軟な働き方の実現、リアルタイムで円滑なコミュニケーションの促進、さらにAI活用による生産性向上と創造性発揮の組織的取り組みが盛り込まれている。
その結果、組織は従来の縦割り型の枠を超え、特定課題の解決を目的としたタスク単位やプロジェクト単位のチーム編成が進み、業務体制に変化が生じている。会議運営では資料のクラウド事前共有、「Google Meet」による画面共有・共同編集、録画機能の活用、生成AIによる議事録やまとめ資料の自動作成、さらにAIを活用した資料分析が常態化し、よりクリエイティブな活動へと変貌を遂げている。職員からは「動作が軽快で快適」「Geminiは手放せない」といった評価が多く寄せられている。
生成AI活用の理解促進にも注力している。2023年12月には「札幌市生成AI利用ガイドライン群」を策定し、2024年6月からは庁内で定期的に生成AI研修を実施した。1年間で61回開催、延べ2000人以上が受講している。加えて、外部専門企業への生成AI活用に関する情報提供依頼(RFI)や課題解決アイデアの公募など、多様な取り組みも展開されている。現場では文書や会議の要約、議事録作成、音声共有、専門的分析レポート作成、画像生成、さらには簡易アプリ作成など、多岐にわたる活用が進んでいる。
地方行政機関は長らく、堅牢なセキュリティと職員の業務環境利便性という相反する課題に直面してきたが、総務省のα’モデルやβ/β’モデルの導入およびそれらに親和性の高いSaaS活用がその壁を打ち破り始めている。高度なセキュリティと利便性を両立しつつ、導入・運用コストを抑制できる点が地方自治体におけるGoogle Workspace導入の加速を後押ししている。生成AIを業務に組み込むことで、今後、行政サービスがどのように変革されていくのだろうか。
本稿はグーグル・クラウド・ジャパン主催のイベント「Google Cloud Next Tokyo」での講演内容を基に編集部で再構成した。
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