生成AIを実証止まりにせず、現場の業務まで踏み込んで成果を出すには何が必要か。「勘と経験」に依存した業務スタイルと、デジタルスキルの不足という課題を抱えていたコクヨは3つのAI活用事例として、「完全未経験の担当者が費用対効果5倍を達成」した方法や、「問い合わせ返信の定型業務を月10時間から0秒」「営業準備を1万8720時間から12時間」に短縮したエピソードを語った。
生成AIの導入が広がる一方で、多くの企業は単発の業務効率化にとどまり、現場の業務や意思決定の変化にまでつなげられずにいる。情報システム部門が主導する大規模なプロジェクトではなく、現場の従業員が自らAIを使いこなして成果を出す体制は、いかにして構築できるのか。
2026年5月26日にオンラインで開催されたカンファレンス「事例に学ぶ“AI活用の成果”ホントのトコ」(主催:ファネルAi)にコクヨの松井一貴氏が登壇し、非エンジニアの現場従業員が起こした3つの業務変革の実例を語った。
120年を超える歴史を持つコクヨでは、多くの日本企業と同様に、「勘と経験」に依存した業務スタイルと、デジタルスキルの不足という課題を抱えていた。
その体制を変革するため、同社は2023年6月に、現場の従業員が自らデジタルやAIを学ぶ社内アカデミー「KOKUYO DIGITAL ACADEMY」(以下、KDA)を開校した。また、機密情報を入力してよい生成AI環境を、クラスメソッドが提供する「AI Starter」(ChatGPTとClaudeを搭載)と、Googleの「Gemini」の2つに限定し、安全に生成AIを使い倒すための環境整備も進めた。
こうした基盤の上で、現場の非エンジニア従業員が主導する3つのAI活用事例が生まれた。
1つ目の事例は、メール自動転記システムだ。コクヨのある部門では取引先約150社に対し、毎月、材料や製法に変更がなかったかを問い合わせている。返信メールを1通ずつ読み、スプレッドシートに「変更あり/なし」を転記する作業は、地味で時間のかかる定型業務だった。月150通を開いて読み、150回転記する作業に毎月約10時間を要していたという。
これを「Google Apps Script」(GAS)や、「Gmail」「Googleスプレッドシート」の組み合わせで自動化した。GASは「Google Workspace」の各サービスを連携させるためのスクリプト基盤であり、これを軸に据えることで、専門のシステム開発を伴わずに業務を組み立てられる。処理の流れは次のようなものだ。
まずGASがGmailから直近1カ月のメールを自動で取得する。次にGASは、仕入れ先のメールアドレスと、自社が事前に送信した問い合わせメールのタイトルをキーに、150社からの返信のうちどれを読み取るべきかを判定する。対象を絞り込んだ上で、返信本文に文章マッチングをかけ、「変更あり/なし」を判定し、結果をスプレッドシートの所定のセルへ自動で書き込む。ここまでが裏側で走る仕組みだ。
全工程の中でAIを使ったのは、150通のメール処理を業務に落とし込む段階の方針相談と、GASのスクリプト作成の2点に限られる。これで10時間の作業が0になった。AI活用は派手な投資を伴うものばかりではなく、現場の小さな苦痛を取り除くだけでも十分な成果を生むことを示した事例である。
2つ目が、B2C商材の販促を担うMeta広告の運用だ。担当者はWeb広告運用自体が未経験で、「Meta Business Suite」使用画面の見方もログインの仕方も分からない状態からのスタートだった。「AIだけでどこまでできるか」を実験するため、AIをフル活用する改善チャレンジが始まった。
手法はシンプルだ。運用のための専用アシスタントを作り、Web広告の用語の意味やMetaの画面の見方、活用方法などの質問をひたすら重ねる。同時に、「この広告施策で何をしたいのか、数値目標は何か、ターゲットは誰か」といった基本施策をAIに丁寧に教え込む。運用開始後は、Metaの管理画面から前日の広告成果を「Microsoft Excel」でダウンロードし、なるべく生データに近い形でアシスタントに与えてアドバイスを得る、という流れを毎日繰り返した。
最初の数日はコンバージョンが生まれず、広告クリエイティブを止めたくなることもあったという。だがAIは「我慢です。今やめるとMetaの広告のAI学習がリセットされてしまうからです」と引き留めた。Metaの管理画面が新しい広告施策を提案してきた際にも、AIは「今は絶対に触らず、無視してください」と冷静なアドバイスを送ってきた。「実際にこれは触らずにコンバージョンを最大化できました。このアドバイスは正しかったといえます」と松井氏は振り返る。
結果、運用開始から1カ月で、LTV(顧客生涯価値)5000円に対してCPA(顧客獲得単価)約1000円を達成。広告費1000円の投資に対しおおむね5000円の利益が出る水準にまで到達したことになる。コンバージョンも安定的に発生し、まぐれではない順調な売り上げ獲得を実現している。完全な素人が1カ月で費用対効果5倍に届いた格好だ。
「調べる時間」を「売る時間」に変えたアポナビ
3つ目の事例「アポナビ」は、通販事業「べんりねっと」の営業担当者を対象とした、AIによる営業準備の自動化システムだ。この営業現場には「情報の孤島化」「ニュースの洪水」「とにかく手間がかかる」という3つの悩みがあった。社内に蓄積された商談記録やメール開封履歴は各所に散在し、日々あふれるニュースを全て拾うこともできず、ターゲット選定から提案資料作成までに膨大な工数がかかっていた。
アポナビは「スコアリングナビ」「企業リサーチナビ」「課題予測ナビ」「スライドナビ」という4つのナビを疎結合でつなぐ構成で、Geminiを推論エンジンとして各ナビに組み込んでいる。
営業担当者がスコアリングナビに対象企業名を投入すると、企業情報や日報、過去の商談、Webやメールの閲覧履歴、最新ニュースをもとにスコアリングが行われ、優先度の高い順に企業が並ぶ。その後は企業リサーチナビが詳細レポートを出し、課題予測ナビが想定課題シートを生成、最後にスライドナビが提案書スライドを出力する。
「営業担当者がやることは、スコアリングナビに会社名を放り込むだけ。あとは裏でAIがぐるぐると回って提案書スライドが出てくるというものになっています」(松井氏)
成果は明確だ。べんりねっと営業の場合、成約率が17.5%から35.5%へと倍増した。資料作成時間は1人1回当たり13時間から30分に、営業本部年間では1万8720時間から12時間にまで圧縮できる見込みだという。「資料作りの時間が減ったことで、顧客先に行く時間が増え、それが成約率向上につながりました」と松井氏は分析する。調べる時間を売る時間に変える、というToBeが現実のものとなりつつある。
松井氏はセッションの最後に、これらの取り組みから得られた「現場AIの勘所」を共有した。1つは、AIを相談相手として捉えるという視点である。Meta広告の担当者は、マニュアルもチュートリアルもほぼ読まず、やりたいことや画面の見方、エラーの対処法をAIに相談しながら前に進んだ。「まず触ってみることが最短ルートです」と松井氏は言う。分からなくても、AIと相談しながら進めば、課題解決にたどり着ける。
もう1つは、「現場の解像度」こそが最速の開発を生むという点だ。アポナビが成果を出せた理由は開発スキルの高さではなく、「営業準備のどこが1番無駄なのか」を知り、「どう変わるとハッピーになるか」を言語化できたことにある。「現場の泥臭いペインへの圧倒的な解像度が、最速の開発を可能にしました」と松井氏は語る。
この観点は、ベテラン従業員の活躍にもつながっている。コクヨでは50代・60代の従業員がAIサービス開発に主体的に関わるケースが見られるようになった。長年培った現場知識を持ちながら、ITスキルが追い付かないため自分には無理だと諦めていた層に対し、生成AIがIT開発のハードルを劇的に下げた結果だという。ITスキルよりも課題への解像度を持つ人材が、現場発のAI活用を駆動する。コクヨの実例はそれを物語っている。
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