青森県のりんご農家を支えるJAつがる弘前。年間150億円規模のりんご販売における在庫管理の精度向上と効率化をどのように実現したのか。
つがる弘前農業協同組合(以下、JAつがる弘前)は、青森県弘前市に本店を置く農業協同組合だ。
同組合は、りんごの盗難事件を機に、メモやFAXといったアナログな方法で実施していた在庫管理のデジタル化に踏み出し、「りんご在庫管理アプリ」をわずか2カ月で本格稼働させた。これによって在庫管理のプロセスを変革しただけでなく、新たな販売機会にもつながっているという。担当者や現場の従業員はITにそれほど詳しくないというが、どうやって内製化を進めたのか。
JAつがる弘前が取り扱う農産物は、りんごが約8割を占める。ほぼ通年でりんごを取り扱い、10kgケースを約500万個、販売高150億円規模のりんご事業を展開している。
地域経済の重要な基盤となるこの組織で、数年前に在庫管理の課題が浮かび上がった。JAつがる弘前でりんごの販売を担当する出雲正人氏(販売課課長)はこう振り返る。
「申し上げにくい事柄ではありますが、在庫に関わる多額の盗難事件が発生しました。内部の人間が虚偽の在庫を報告して、りんごを横流ししていたのです」
りんご事業の大まかな流れは次のようなものだ。JAつがる弘前にはりんごを保管する7つの貯蔵庫があり、そこに地域内約3千人の組合員(生産者)から運ばれてきたりんごが入庫される。りんごはそのまま選果場へ運ばれ、大きさなどによって選果される。
貯蔵庫の担当者は、入庫されたりんごを数えて手書きでメモを取り、それを清書してFAXで事務所に送信する。事務所では1日20枚ほどになるFAXを確認し、コピーして販売担当者に渡す。販売担当者はコピーした用紙から大まかな在庫量を把握し、取引先に対して販売提案を行う。
「前日までに入庫されたりんごの数量と、当日にまた製品化されるりんごの数量を大まかに把握しておけば、販売計画は立てられました。厳密に在庫管理しなくても、業務には支障がなかったのです」(出雲氏)
しかし、この管理方法の隙を突かれ盗難が発生してしまった。事件を契機に、JAつがる弘前は在庫管理を徹底すべく、幾つかの施策を講じた。その一つが業務のデジタル化だ。
これまでのほぼアナログな業務をデジタル化することに決めたJAつがる弘前。とはいえ現場の担当者にITの知見があるわけではない。そこで頼ったのが、以前、「VR技術を活用したりんごの剪定学習支援システム」の共同研究で縁があったキーウェアソリューションズだった。同社に要望を話したところ、一から在庫管理アプリを構築する方法と、アステリアのノーコードアプリ作成ツール「Platio」を使用する方法の2つの提案を受けた。
「事件のこともあったので、急いでアプリを作る必要があり、予算も多くはありません。スクラッチ開発をすれば、完成までに約1年かかり、費用もPlatioを利用するよりも約10倍のコストがかかる計算でした。そう考えると、Platioしかないと決断しました」(出雲氏)
低コストと短期間での導入が可能なことはもちろん、キーウェアソリューションズがりんごの生産・流通プロセスを理解していたことも、Platio導入の決め手になったという。開発は、キーウェアソリューションズの全面的なサポートの下で実施した。選果施設や冷蔵庫の管理、製品の在庫管理などを担当する柴田 祥氏(施設管理課施設係長)は、開発プロセスをこう振り返る。
「まず、アプリに掲載するデータや操作性に関する要望を細かくヒアリングしてもらいました。私たちからは、直感的で迷わず使える操作性や、後から柔軟に項目を追加できることなどを要望として伝えました。出来上がったデモアプリを確認したところ、操作性が良いと感じましたし、現場の担当者にも“使いやすい”と好評でした」
スマートフォンを使った経験がある人ならば誰でも使えるシンプルなUIで、操作に迷う人はいなかったという。
その後、現場からの「よく使う項目を上位に表示してほしい」などの要望に応え、細かな改修を実施。初回の相談から本稼働までわずか2カ月で、「りんご在庫管理アプリ」の本格運用がスタートした。
「私自身もITに詳しいというわけではありませんでしたが、キーウェアの担当者とメールで要件を確認しながら改修を進めたことで、イメージに沿ったものを素早く完成させることができました」(柴田氏)
Platioで開発した「りんご在庫管理アプリ」は、現在7拠点、約30人の担当者に利用されている。毎日のりんご在庫をアプリで入力するようになり、業務は大幅に変わった。
従来、貯蔵庫の担当者は「メモに手書きし、清書してFAX」という作業に毎日約1時間費やしていたが、この時間を削減できた。紙での報告や管理がなくなったことで、全体で年間約5000枚の紙の削減、通信費の節約にもつながっている。送られてきたFAXの保管スペースも不要になった。
実際にアプリを使う現場担当者からは、「清書する時間がなくなって良かった」という声が上がっているという。当初は「冷蔵倉庫内でのスマホ操作は手がかじかむ」という声もあったが、すぐに慣れたようだ。
さらに、集計した在庫データを受け取る事務所側の業務にも大きな変化があった。柴田氏は説明する。
「これまでは7つの貯蔵庫からFAXで数値が送られてきたので、それを集計しなければ全体の数値は把握できませんでした。Platioを導入したことで、現状の数値をぱっと見で把握できるようになりました。品種別、等級別でもどれくらいの在庫があるかが一目で分かります。どのセンターから、どの品質、どのグレードが送られてきているかなど、データを深掘りすることで細かい分析もできるようになりました」
もし従来のアナログな方法のまま、Excelを利用して正確な在庫管理を試みた場合、状況はさらに複雑化していたかもしれないと柴田氏は話す。
「Excelで在庫管理をするとしたら、各拠点から送られてきたFAXの数値を、事務所担当者が手作業で入力するという作業が必要になります。入力にはそれなりの時間がかかりますし、ミスが発生する可能性もあるでしょう。そう考えると、Platioの導入は正解だったといえます」(柴田氏)
「りんご在庫管理アプリ」を介して在庫数がリアルタイムで共有されるようになったことは、販売側にも大きな影響を与えている。正確な在庫数値をベースに、販売担当者が販売提案をできるようになった。
「従来は、予想値を使って販売計画を立てていましたが、Platio導入後は予想値ではなく、実在庫データで販売の計画を立てています。例えば『グレードがそれほど高くない色が薄いりんごがこれだけあるので、4個パックでの販売方法を提案しよう』という動きができます。品種や等級、数量などのデータが細かく分かるようになったため、販売計画も精緻に立てられるようになりました」(出雲氏)
Platioの導入後、組織全体の在庫管理に対する意識も大きく向上した。理論在庫と実在庫を突き合わせて、1ケースでも差異があれば即座に各担当者に電話連絡して、原因を究明するといったルールが採用されている。この厳密な管理体制は事件の再発を防ぐ強力な抑止力となっているはずだ。
JAつがる弘前は、Platioの導入を足掛かりに、さらなる業務の効率化と高度化を目指している。柴田氏は、物流の最適化への活用を視野に入れている。
「現在、トラックへのりんごの積み込みは、運送会社にセンターの引き取り数量を個別に指示して実施しています。しかし、Platioを活用してセンターごとの在庫数量をリアルタイムで把握できれば、より効率的な荷受けと配送計画が立てられるはずです」
2024年問題で運送業界の人手不足が深刻化する中、同じ場所に何度も往復するような非効率な配送は避けなければならない。Platioで得られる正確なデータを活用すれば、例えば近接する拠点の荷物をまとめて積み込むなど、より合理的な物流戦略を立てることが可能になる。これにより、運送会社の負担軽減と、私たちの配送コスト削減の両立が図れるだろう。
一方、出雲氏は既存システムとの連携や、より高度な在庫管理の実現を目指していると話す。
「現状は、基幹システムである“りんご業務システム”にある理論在庫データと、“りんご在庫管理アプリ”で集計した実在庫データを手作業で突き合わせて、差異がないかを確認しています。しかし、これはやや手間がかかりますし、ミスの可能性もある。これらの2つを連携させ、自動的に差異が分かるようにしたいと考えています。それにはセキュリティなど幾つかのハードルがあり、解決方法を検討しているところです」
ノーコード開発ツールであるPlatioの導入により、在庫管理の精度向上、業務効率化、そして販売戦略の高度化を実現したJAつがる弘前。単なる在庫管理の改善にとどまらず、農業経営全体の近代化と競争力強化につながる重要な一歩と言える。
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